特別じゃない日は特別だ

 またまたCMからのお話です。

 リンナイのホームランドリー「乾太くん」のCMで、流れているコピーが「特別じゃない日は特別だ」。これが耳と目に入った瞬間、「お、いいね」と感心しました。

 どうってことない日常、平凡であることの大切さみたいなことでしょうか。確かに普通でいられることの難しさ、素晴らしさを感じるようになってきました。これまた年を取ったということですかね。

 二葉亭四迷に『平凡』という小説があります(読んでいないけど、笑)。たぶん、最後は平凡の大切さに戻っていくというような内容だと思います。

 二葉亭四迷の生きた明治時代は、小説家など「水商売」でした。四迷は父に「小説家になる」と言ったところ「くたばって死ね」と言われたとか。で、発音を模してペンネームにしたというようなエピソードだったと僕は記憶していました。僕がこんな面白い作り話を思いつくわけないし。ただウィキペディアによれば、自分を卑下して自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったのが由来とあります。どっちでもいいけど、父に「死ね」と言われた方が、時代を表していておもしろいけどね。

 映画『咲む』(えむ)について前回書きました。耳の不自由な人々を巡る人間ドラマ、家族の物語でした。やはり失って分かる有難みが健康です。普通でいられることの何と幸福なことか。それに気づかず、人のせいにしたり、世の中を恨んでいる人はいますよね。

 感謝の気持ちを持って、日常を送って行きたいと思います。特別じゃないことは、特別なんだと思いながら、ね。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

映画『咲む』を観ました

 朝の散歩で仲良くなった知人の息子さんである早瀬憲太郎さんが監督・脚本を務めた映画『咲む』(えむ)を、横浜の南区役所公会堂で惠理先生と観ました。僕が観てきた映画の中で、上位に入る感動をいただきました。

 製作は一般財団法人全日本ろうあ連盟で、創立70周年を記念して作られました。監督さんが舞台あいさつで「ろうあ連盟が制作したと言うと、障害がテーマと思われてしまうのが残念。エンターテインメントの人間ドラマです」と話していました。監督自身が、ろうあ者です。

 縦糸、横糸がどっちか分かりませんが、主人公の女性、両親、妹、家族全員がろうあ者です。主人公の父と祖母との分断が、孫である自分にも暗い影を落としていて、どうなっていくのかなあという人間ドラマ、家族の物語であることは確かです。こっちが縦かな。で、車いすの女性や耳だけでなく目も不自由な老人男性を始めとした高齢者、つまり健常でない人々が織りなすドラマがたぶん横糸であることも確かだと思います。

 最後は水戸黄門的にスッキリ着地するのが定型と言ってしまえば身もふたもなく、でも期待通りに大団円を迎えてくれなきゃモヤモヤしてしまいます。やっぱり日本人に生まれたからには黄門的決着は是非ものです。

 最初のうち主人公は周りの人に「手話」や「筆記」を求める場面が多く、それって甘えじゃないのかと考えてしまったり、つまりなんで読唇術を体得しないのか、発声器官に問題がないのであればなぜ訓練をしてこなかったのか、など余計な疑問が邪魔をしてしまったのですが、途中からは文句なしで泣きながら最後まで観ました。

 やはり、ろうあ者は就職が難しい。結局、父親が生まれた故郷に行って、祖母と暮らすようになる。始めのうちは、村の人々の理解も得られなかったが、持ち前の明るさ、頑張りで村を元気にしていく。こうザックリ書いてしまえば、またしても型通りの展開になってしまうのだけれど、それでも泣かせます。

 監督の思いとは違うでしょうが、やはり生きずらい障害者が道を切り開いていくさまは感動的なんです。車いすの女性が主人公に向かって「なんで障害を乗り越えたの?」と聞くと、「乗り越えていない。ただ真っすぐ前に歩ているだけ」と答えます。

 健常者が偉そうに言うのと違って、やっぱり説得力があると思うのです。理屈抜きで、その姿はたくましく、素晴らしく見えます。

 全国ロードショーではありません。各地の主催団体による上映会です。地味な興行ですが、丘みつ子、島かおり、赤塚真人、宮下順子、次長課長の河本準一など錚々たるキャスト陣にも驚きます。

 一人でも多くの人に見てもらいたいです。大きな事務所が大きな力と資本でメディアを牛耳っている世の中ですが、本当に佳い作品をコツコツと創り出している人々もいます。『咲む』も制作に4年かかっていると知って驚きました。こうした作品はなかなか日の目を見ません。メジャーでないので、人々の耳目に触れる機会がないからです。応援したいですね。エールを送りたいです。

 良いものが、良い人が、普通に世の中で認められるようになれば嬉しいです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

オー・マイ・ニュー・カー

 新車が来ました。乗りました。気分最高!

 しかし怖い。都会の運転はおっかねー。何しろ5年ほど、まともに車を転がしていません。年を取ってからの運転は危ないし、関内で生活する上では必要性もない。維持費は高いし、歩くことが好きだし。

 ところが、原村との二重生活が決まり、車がないとやっていかれません。そこで久しぶりに新車を買ったわけです。

 トヨタのヤリス。チョリース。人気車種です。カッコいいです。運転もしやすい。

 そこで2段落目のお話に戻ります。怖いんです。都会は。一方通行が多すぎます。覚えられない上に、最新のはずのカーナビまでズレている。駐停車も多すぎます。そのたび、車線変更しなければなりません。交通量は多く、スリル満点(笑) ヤバイぞ、これは。大丈夫か?

 まあ、この年になって新たな刺激があることは悪いことではありません。緊張感もよろしい。何と言っても、意外に楽しい。これまたワクワクするんです。とにかく慎重に、安全に運転すればいいと思います。

 原村の方は車も人も少なくて、運転しやすいです。こちらは本当に楽しい。2回、雪道と凍った道も惠理先生と2人で体験しました。(僕は青森支局で恐怖のひと冬を経験済み、笑)

 3月末は引っ越しの繁忙期で通常の2、3倍の料金を取られると言うので、ハイエースをレンタして自分たちでやることにしました。そこで原村ではハイエースの練習もしました。とにかく準備が大切です。

 後は引っ越し前に新車で久しぶりの高速、および長時間運転の練習もやります。備えあれば患いなし。緊張感を味方につけて、楽しみます!

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

僕にも取柄が、あるぅ~

  「影武者 徳川家康」(覚えておいでか、マンションのクリーンステーションから拾ってきた古本)を読んでいて、うれしい文章に出会いました。

「替玉にせよ徳川家の頂上にある身が、一介の忍びに頭を下げるとは、出来ることではない。要するに素直なのだが、六十まで素直なままでいられる男は数少ない。ある意味で非凡な男と云えた。」

 なんと、僕は62歳です。長所、美徳などがほぼない僕とはいえ、子供の頃からひとつだけ褒められ認められたところがあります。それが「洋ちゃんは素直だね」ということなんです。ただ、その一点だけで、なんとか生きてこられたようなものです。

 以来、上記の傾向に一切の変化はありません。裏を返せば成長をしていない。ただし「素直」だけは残っているように思います。今でも言われますから。

 ということは「影武者 徳川家康」の文章が僕ですか? え、非凡ですか! まあ、それはないとしても、嬉しいじゃありませんか。やっと少し誇れるものを見っけました。

 本を読んでいて感動するのは、自分で思っていてもうまく表現できずにもやもやしていたことが、明確に文章として読んで腑に落ちるから、ということを少年時代に読んだか聞いたことがあります。「そうだよ、そうだよ。僕もそう思っていたんだよ」と手を叩きたくなる感じ。それが読書のいいところです。

 自分にもいいところがあるんだ、と思えて、少しは自信もつく。とてもいいことです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

店名、人名の不可思議

 朝の散歩、日本大通りを歩いていると、「白洋舎」と書いてあるバンが停まっていたので、店名について考えてみた。

 「白洋舎」といえばクリーニングというイメージは固まっています。しみ込んでいますね。絶対にラーメン屋とは思わない。

 逆に言えば、「来々軒」なら100%ラーメン屋を想定します。暖簾をくぐってクリーニング屋だったら、のけぞります。間違いなくラーメン屋しかない。洋食屋でもないでしょう。

 名は体を表す。いかにネーミングでイメージを左右するか。もっともこの頃、ベタな「来々軒」はあまり見かけません。たぶん、コテコテで古めかしいからでしょう。

 何度も何度も聞いているうち、馴染んでしっくりくる。そういうことはあります。人名もそう。かつての名プレーヤーに阪神の掛布さんがいました。最初、「かけふ」と聞いた時は違和感全開でした。「え、それ苗字? 」というくらいに。

 ところが活躍を重ねていくにつれ、掛布という名前が新聞、テレビで連呼されますから、いつの間にか違和感は消え、逆にかっこいいとさえ思えるようになります。ついには「か、か、か、か、掛布さん」(金鳥蚊取りマットのCM)で一世を風靡するに至り、「かけふ」という語呂もすっかり定着してしまう。

 外国人名もそうです。オードリー・ヘップバーンなんて、子供は発音しにくかった。大女優になって、世界中で連呼されていうるうち、輝いて聴こえるようになるから不思議です。

 「矢後洋一」。変な名前だと思って62年生きてきましたが、ここまで考察した結果、結論は言わずもがなです。メジャーになる! それしかない。チャンチャン。

 では、また。最後は妄想でした。ペレレイ、ペレレイ。

これぞ3分クッキング!

 惠理先生は料理が手早く美味いのですが、やはりプロはさすがだと脱帽いたしました。

 野毛にある横浜にぎわい座で知人が出演する舞台公演を観に行きました。開演前、斜め向かいにある中華料理店に入りました。カウンターだけの店。大将がひとりで切り盛りしています。

 先生は知人が良く食べていた「きのこラーメン」をオーダーしました。二人で餃子一皿。僕はマーボー麺とライスです。62歳で食いすぎってか(苦笑)

 客は僕たちだけ。カウンターの中が厨房で丸見えです。野菜はすでに切ってありましたが、それでも先の注文の品二人分が6分で完了しました。一人分わずか3分。なんという早業でしょうか。しかも美味しかったのは言うまでもありません。

 僕は一品作るのに1時間弱かかります。2品であれば2時間弱。作り終えれば、お疲れ様です。プロとの違いよ。恐るべし。

 しかし、僕にも早いことが、ひとつありました。文章を書くスピードです。現役時代、どんなに締め切りがタイトでも問題はありませんでした。デスク孝行ですね。(じゃあ内容はどうかって? フフフ)

 先生は料理だけでなく、何より早いのは決断です。迷っていいことはありません。大事なのは直感ですね。ピンときたら即決です。間違いない。

 そういえば「この顔にピンときたら110番」という警察の貼り紙があります。指名手配犯の顔入りポスターです。昔、僕はよくみんなに「110番」と言われてからかわれていました。そんなに強面じゃなかったと思うんだけどなあ。写真映りが悪かった…。ことに目つき…。トホホ(古っ)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

AではじまりCでおわる

 AではじまりCでおわる素材の会社はAGC♪ 最近やたらとテレビで流れるCMをご存じですか。つい最近までは、高橋一生が欽ちゃん歩きをしていました。今は広瀬すずです。

 変なCMだな、と思いながら観ていました。素材の会社ってなんだと疑問符付きで。

 ところが、原村の新居の窓ガラスにベタベタと「AGC」のシールが貼ってあるではないですか。現場監督の浅川さん(浅利陽介を爽やかなイケメンにした感じ)に尋ねると「そうです。ガラスを作っている会社です」とのこと。

 1100メートルの高地にあり、割れないようにと(気圧の関係?)三重の特殊強化ガラスになっているそうです。「矢後様邸特別仕様」とセキスイハイムの営業マン増田さん(元高校球児で入社2年目のやり手)も言っておりました。

 訳の分からないAGCが突然、身近になりました。セキスイハイムだって、阿部寛の「あったかハイム」のCMは観ていましたが、遠い存在でした。それが今や我が家ですから、ご縁は異なもの不思議なものです。

 もちろん人との縁もそう。歌手の日野美歌さんとご一緒に食事をする関係になるなどまるで想像していませんでしたから。遠くの存在が急に身近になる。そういうことはあります。

 こんなときに感じるのが、感謝の気持ち。人にも会社にもご縁に、すべてに「感謝、感謝」です。

 惠理先生も朝から、かつて関係のあった人と久しぶりに、原村関係でつながり「繋がる、繋がる! 」と興奮しています。

 毎日がシンクロの連続です。もう不思議ではありません。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

みどりの窓口あるある

 「みどりの窓口」(以下窓口)さんとは、どうも相性が悪いようです。

 新築の内装がだいぶできたので内覧会があり、長野原村に行って来ました。関内駅で、特急あずさの切符を買うため、窓口へ。一人、先客がいました。これが、うんざりするほど時間がかかっている。ややこしいチケットなのか、はたまた係の女性の要領が悪いのか。

 さらに追い打ちが。朝から酔っ払い風情のジジイが切符を持って、僕たちの前へ。「並んでるの? 」「見りゃ分かるだろうがぁ(心の声)」。たぶん買い間違いか何かでしょう。すると先生が「時間がかからないならお先にどうぞ」って。「えーっ(心の叫び)」。先生、優しすぎる。すると、やはり、ジジイは窓口で管を巻いています。オーマイガー。

 原村からの帰り。空いているはずの茅野駅の窓口でも先客が…。これまた時間がかかっている。なぜだ! いつもこれだ。必ず僕の前は時間がかかる。

 前にも同じようなことは書きましたが、またしても惠理先生から「zizi(対外的な呼称、ふだんは違う呼び方ですが)が短気だからだよ」と。

 引き寄せの法則? 窓口だけではありません。レジも同じです。ということは偶然ではない? 僕が呼んでいる? 性根を叩き直そうと…。

 わかりました。気を長くします。前にも書いたけど…。まだまだだったのですね。ちなみに新宿経由で帰りましたが、湘南新宿ライナーがどこかの駅での安全確認のため20分遅れ!

 「イライラしない! 私は何とも思わない」(惠理先生)

 さすがです。人間ができている。僕はまだまだ未熟です。62歳の未熟者とは…トホホですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

釘付けとは…

 「釘付け」という表現で思い出すのは、大学生の頃のこと。東京駅八重洲口にあったブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)で藤島武二の「黒扇」という名画を見た時のことです。

 文字通り「釘付け」になったのです。その絵の前で動くことができず、しばらく呆然と食い入るように見つめ続けていました。今見ても、たぶん、それほどの感銘は受けないと思います。40数年前の感性豊かだった青年には、衝撃的な美人画でした。

 つまり、「釘付け」という言葉に悪い印象はありませんでした。どちらかと言えば、先の例のようなプラス方向の意味合いを考えていました。

 ところが、遠藤周作の「イエスの生涯」を読んでいて、キリストの磔刑の場面の描写で愕然としました。十字架のはりつけです。203ページ以降から抜粋します。「(前略、イエスは)腕を開いて自らの運んできた十字架の横木の上に仰むけになり、手をその十字架に釘うたれた。この釘づけがすんだあとロープで吊りあげられる。そして最後に足に二本の釘を打ちこまれる(後略)」

 なんと、釘で足と手を固定されたのです。ロープではなく。イエスは意識を麻痺させるための葡萄酒も拒絶し、息をひきとったのが3時間後といいます。3時間の苦痛とはいかばかりだったことか。ここを読んで空恐ろしくなりました。言語に絶しますね。

 広辞苑に、死刑を意味する説明はありません。①物を固着させる②物事を動かないようにする、動きのとれないようにする、などとあります。死刑につながる表現ではありません。それでも、キリストの最期を思うと、ちょっと気持ち悪いですね、恐ろしいですよね。

 処刑に楽なものなどないでしょうが、人を殺すとはなんと残酷なことでしょう。それが罪のない人であればなおさらのこと、です。僕はキリスト教徒ではありませんが、なぜか最近、イエスのことも気になっております。何でだろう。不思議です。

 いつの日か、分かるのかな。分からなくてもいいけど。ま、気長に行こうっと。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

天気予報が気になる…

 若い頃は天気なんて気にしていなかった。僕は野球記者が長かったので、雨が降るかどうかで試合の有無もあったため、仕事上の問題として注意や意識をしていたていど。

 いつ頃からか、天気予報を見ないと落ち着かなくなった。天候に左右されるような問題はないのだが、3年半前から早朝、山下公園でラジオ体操をするようになったことが契機になっていたかもしれない。

 朝の天気予報を見ることが、日課になった。週間予報で、今後の行動への影響を頭に入れて置く。だからといって、雨だから外出しないという判断にはならないけど、心の準備ができるかもしれない。

 若い頃は何事にも鈍感だったり、無頓着な傾向はあった。季節感とか旬のものにも無関心で…。桜が咲こうが、梅が咲こうが知ったこっちゃない。「だからぁ? 」てなもんで。

 ところが「あと何回桜が見られるかな」なんて感慨を抱くようになってからは、桜も梅も愛おしくなったり、寒ブリに有難みを感じで食したり。

 天気とは違うかもしれないけれど、おしなべて敏感になっているように思う。すべてに愛情を持って接することができるようになっているというか。

 以前は雨が嫌いだった。風が吹くのもイヤだった。そう文句を言うと、惠理先生から「雨だって大切なんだから、感謝しないと。雨が降らなかったらどうするの」と言われて、 ハッとしたことを覚えている。

 一昨年だったか、金沢で白山を眺めながら、しとしと降る雨を、とても美しいと感じてからは雨も好きになった。

 花鳥風月。命あるものも、命ないものも、すべてが愛おしいと思えるようになってきた。歳をとったかな。でも、そういう気持ちになれたのなら、歳を取ることも悪くない。そう思う。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。