62歳で遊園地かよ

 よこはまコスモワールドに惠理先生と行って来ました。みなとみらい地区にある遊園地です。1990年にオープンしてもう30年以上になるんですね。

 そもそもはハンマーヘッドでランチをして、臨港パークで一休みしているとき、ふと「あれ乗るか」と大観覧車コスモクロック21を指差していました。

 遊園地はディズニーに何年か前に行っていますが、地元は意外と行かないものですね。

 天候に恵まれ、観覧車から見晴らす横浜港は美しかった。

ね、いい景色でしょ。観覧車に乗り、ご機嫌な惠理先生です

 さて次に何乗るか。ダイビングコースター「バニッシュ!」は本格的なジェットコースターで、二人とも怖くて敬遠。子供でも乗れるものならよかろうと、次にクルクル回転するスピニングコースターに狙いを付けました。それでも慎重に、まずは他の人が乗っているところをチェック。「これなら大丈夫だろう」と判断していざ決行です。

 ところがこれ、けっこうな恐怖でした。ヘアピンカーブの連続で、遠心力が思い切りかかりますから、外に投げ出されそうな感覚になります。ここがオープン間もない頃、小さかった子供と乗った記憶では、まったく怖くなかったはずなのです。これも老化現象ですか? コワッ!

 惠理先生も「けっこう怖い」「けっこう怖い」と絶叫していました。終わった時には「体が固まった。バリバリ」と苦笑いでした。

 乗ったのは、この二つだけ。それでもとっても楽しかった。たまにはいいですね。無邪気になること。絶叫すること。心の底から笑うこと。忘れていた感覚を思い出すこと。

 ストレス発散! いやあ、楽しかった。ペレレイ、ペレレイ。

では、また。

白黒決めることについて

 僕が駆け出しの新聞記者だった頃、先輩記者から言われたことを今でもはっきりと覚えています。

 「曖昧な記事は書くな。右なのか、左なのか。はっきり示さないと読者は迷う」と。正確ではないかもしれないけど、まあそんな内容でした。

 でも世の中には白でもない、黒でもない、グレーはあるよな。そう反感を抱いたのですが、そうじゃないんですね。グレーをはっきりと「グレーです」と書けということです。「グレーに見えるけど、そうじゃないかもしれません。ま、グレーみたいなもんですかね」というようなことは書くな、ということです。

 しかし記事はいいけど、日常でも白黒を断定する習慣が身についてしまいました。それって極端ですよね。

 今のアメリカを見ていてそんなことを思い出し、考えてしまいました。トランプVSバイデンが象徴的です。「アイツの言っていることは間違いだ。嘘だ」と決めつけ、バッサリと切り捨てる。相手も同じ。分断ですね。民主主義からは程遠い。

 心が狭くなってきました。世の中全体に。だから閉塞感が漂ってきている。思い出すのは王貞治さんのこと。彼は台湾人として差別を受けて苦労したようです。そして身に着けた処世術でしょうか。相手の異見を違うなと思っても「そうですね」と必ず受け止める。その上で「僕はこんな風にも思うんですよ」と柔らく伝える。とても勉強になりました。

 世の中に100%はなかなかない。天皇を知らない人もいる、たぶん(笑)。びっくるするようなことはありますよ。でも、それはそれ。否定はよろしくない。すべて聞き入れたうえで、自分の意見も言えばいいと思うようになってきました。

 アメリカを見ていて思ったことです。では、また。

ペレレイ、ペレレイ。感謝、感謝。ヒーリングで穏やかになりましょう!

寒さに弱くなりました

 横浜は1月2日から12日まで日の出が最も遅い6時51分でした。(東京は若干違いますよ、国立天文台暦計算室による、機関によって情報がなぜか少し違う)。今日1月13日は6時50分。これから少しづつ日の出が早くなっていきます。春の訪れですね。

 偶然にも今冬2度目の大寒波も峠を過ぎ、13日は穏やかな冬晴れです。日の光も暖かいです。

 体が楽ですね。還暦を過ぎ今年63歳になりますが、ここ数年、年年歳歳、寒さに弱くなってきました。若い時は「今日は寒いですね」とあいさつ代わりに言われると、嘘のつけない僕は困っていました。まったく寒さを感じていなかったのです。8月生まれのくせに暑さには弱かったけど寒さには強かった。

 僕の幼少期、もう半世紀も前は冬は横浜でも厳しかった。積雪が1メートルを超えることもあって、家の横の坂道で橇遊びをしたり、かまくらを作ったりしていましたよ。

 学校でも雪合戦が楽しくて楽しくて、トイレを我慢して遊んでいました。ぎりぎりになってトイレに駆け込み、便器を前にしたところで安心したのか、チャックを下ろしながら漏らしてしまったことがあります。黙って家に帰って着替えて戻りました。その時のトラウマでしばらくトイレが近かった。バス旅行など、恐怖ですらありました。

 ま、今では愉快な思い出です。最近は雪も少なくなり、しばれるような寒さはほとんどない。それなのに寒さには弱くなり、昔はしていなかった手袋やマフラー、ニット帽など総動員です。

 だから4月から二重生活をする長野県の原村の冬がちょっぴり心配です。30代後半に青森支局を1年経験して雪の深さには耐性があるように思いますが、原村は雪より路面が凍結する寒さのようです。

 ヒエーッ。大丈夫か! 当初は昨年12月末の完成予定が春に伸びたのはよかったけど、引き渡し予定が3月31日。引っ越し代が通常の3倍だって。そっちの方が寒いわ! とはいえ楽しみの方が3倍以上です。では、また。

無駄な努力はあるか?

「努力してもムダだよ」

「ムダな努力だったね」

 と言うのは、ずいぶんと余裕のある上から目線のような気がします。確かに結果が実らないこともあるでしょう。だからといって、それまでの努力がムダだったことにはならないと思います。

 諦めないこと。これも努力のひとつだと思います。積極的ではないし持久型の長期戦タイプですね。でも諦めなければ試合は終わらない。いつか必ず小さくても何らかの実を結ぶ。そう思います。

 コツコツ続けること。これも努力のうちでしょう。地道に気長にやり続ける。そうすればきっと何かを生む。何かにつながる。

 まあ多少は楽天的で自己肯定型ですけど、少なくとも前向きな生き方ではありますよね。自分を信じることは大切です。スマートではないし武骨かもしれないけど、誰もが認める能力がなければ、やれることはコツコツしかないでしょう。

 これって実はけっこう難しい。地味な努力です。三日坊主はダメですよ。せめて五日はやりましょう(笑)

 

料理をまた始めました

焼きナスの豚しゃぶサラダ、ブロッコリーとゴーヤの梅マヨネーズ和え

最近、また料理を始めました。

なんて偉そうに言うと、じゃあ、前は立派なものを作っていたのか、

と思われてしまうと困ります。せいぜいカレー、シチュー、筑前煮ていど、でした。

つまり鍋物ですね。簡単です。

今回は一皿料理に挑戦しています。今のところ、大好きな、なすのメニューが中心です。

これまで作ったラインナップを披露しますと、

  • なすと豚肉のみそ炒め
  • なすの南蛮煮
  • 塩もみなす牛肉の炒めもの
  • なすと厚揚げの煮もの
  • 冷しゃぶサラダ、たたききゅうりの香味あえ
  • 焼きなすの豚しゃぶサラダ
  • ブロッコリーとゴーヤの梅マヨネーズ和え
  • なすとたこの梅炒め

こうしてみると、本当になすが多い。

なぜかというと3分クッキングの8月の特集が「なす」だからです(笑)

例年、この時期に特集されますね。

なんでまた料理を始めたのか。一生懸命頑張っている惠理先生に食べて欲しいからです。

これまで恵理先生が僕に美味しい料理を作ってくれていました。もちろん今もですが、お互いに作ったら楽しいですよね。大きなオープンキッチンを作るのが希望です。二人で同時に両サイドで作りたいと思っています。

では、なぜ料理を止めたのか。レシピにしばられ、調味料の大さじ〇杯、とかいう呪縛がうっとおしくなったからです。その通りに作るとほとんど薄味ばかりで味気なかった。それで嫌気がさしました。今回は適当です。すると、料理が面倒にならず、楽しくなってきました。しかも時短です。のんびり作っているつもりでも前より手際よくなっていて驚いています。

何でだろう。新聞記者時代も最初は記事が下手でした。17年ぶりに現場に戻ったら、まったく変わっていました。書きたいことが素直に手早く表現できるようになっていた。何となく料理に通じています。少し人間的な成長があったのかもしれませんね。

また報告します。

何が起きても世界は必ずよくなる

 コロナウイルスについてはデリケートな問題もあり、

あまり触れたくなかったのですが、ひとつだけ言いたい。

 センバツ高校野球が中止になってしまったこと。

一生に一度の少年の夢を誰が奪ったのか。コロナウイルスは人災だと思います。

 こうした事態を引き起こした原因が、初期段階での政治家による隠ぺいにあるなら、それが全世界に危害を及ぼしたのならば、許されるものではありません。

 保身、自分さえよければいいという、いつの世にも最も多い政治家の性。

犠牲になるのはいつもサイレントマジョリティー。

権力者の横暴はいつの世にもありますが、今回の大惨事が将来的に、そうした闇の権力者の抹殺につながるのであれば、と願うしかありません。

 僕たちは自分たちにできることをしっかりやる。 それしかありません。必ず、いい方向に向かうと信じて行きましょう。

氷川丸の窓の向こうに見える朝日

アルコール依存症、ではありません

 近頃の若者は酒を飲まない。

それは感じていましたが、11日付朝日の朝刊社会面の記事を読んで、

心底驚きました。

 飲酒習慣率の変化という折れ線グラフが載っていました。

1997年と20年後の2017年を比較しています。

20代男性の飲酒率でいえば、

97年は31%の青年が飲んでいましたが、

17年には16%まで下がっています。

 20年前でも3割しか飲んでいなかったのか…。

と驚きつつ、今や100人中16人しか飲まないとは…。

 背景、理由は健康志向の高まり、

節約志向、自己管理欲求の高まりに加え、

飲みニケーションの価値低下が挙げられていました。

 上司と部下が酒を飲みながら、腹を割って話し合うなど、

遠い昔というわけです。

 最近は忘年会も「会議と同じ」という理由で欠席する人が多いとか。

 高度経済成長、バブルなどを経験してきた還暦青年にとって、

時代が変わったなんてもんではありません。カルチャーショック!

もはや若者は異星人です。

 これまで週に1日は休肝日を設けていましたが、

今は頑張って2日。それが精いっぱい。

美味しいものを食べながら飲む。

「とりあえずビール!」「かんぱーい!!」

なんて今は昔の物語ですか。寂しい。寂しすぎる。

 僕は恵理先生と飲んで食べて話し、

「あー、幸せだね」と言い合うのが活力です。

友人と飲むのが楽しいです。

 決してアルコール依存症ではありません。

 さあ、飲みに行こう。

若者よ、街に出よう!

3月14日にデビューする新型車両、サフィール踊り子が横浜駅に停車していました

頑張り這い上がる人は精神力が強い

 

 外国人を相手にするボクシングの場合は井上尚弥のような強者を応援しますが、 国内の戦いである大相撲の場合は判官贔屓になります。  

 相撲はあまり観ないのですが、初場所は時折観ていました。 168センチ、99キロの炎鵬が気になっていたのです。 小さいだけでなく、とても美しい顔立ち。大きな力士に立ち向かっていく姿に感銘を受けていましたしていました。  精神力も強いのでしょう。

 ところが千秋楽で、別の力士に感動しました。徳勝龍です。 返り入幕(十両に落ちた力士が再び幕内に戻ること)での優勝は史上初、 幕尻(前頭17枚目=最下位)からは20年ぶり2人目。 33歳5カ月は日本人史上最年長優勝でした。下剋上ですね。  

 優勝をかけた大一番で10歳も下の大関貴景勝を破った後、 こらえきれず土俵上で泣く姿を見たら僕も涙がこぼれていました。 優勝インタビューでは、場所中に近大相撲部の恩師が55歳の若さで急死していたことも知りました。 涙の大きな理由のひとつです。  

 こういうのに弱いです。 やっぱり頑張っている人は眩しいですね。 ただ結果が出たから脚光を浴びました。 敗者の中にも同じような境遇の人も大勢いるはずです。 そんな人たちのことも応援したいな、と思います。

由比ガ浜の上空を優雅に舞うトンビ。クルリと輪を描いていました

大学駅伝に勇気をもらう

 僕の正月の楽しみは大学駅伝を観ることです。 2日、3日の朝8時から。 何で、ただ走っているだけの画面を5時間以上も、 ボケーッと観ていられるんだろうと不思議に思っていました。  

   なぜか分かりました。 若者が頑張っている姿、襷を懸命につないでいく姿に、 勇気をいただいていたのですね。  僕も頑張ろう。今年も頑張ろうと、 そういう熱いメッセージをいただいています。  昨年はラグビー日本代表が、ワンチームという絆で感動をくれました。 僕は野球記者を卒業しても、 いつまでもスポーツが好きなんだな。  

    確かに敗者はいます。かわいそうです。 だけど負けても最後まで必死に闘った結果です。 しっかり受け止め、次に先に進めばいい。 僕だって負けは多かった。  

ただ諦めない気持ちだけは持ち続けてきました。  これからもずっと、最後まで夢に向かって闘っていきます。 でも楽しくね!

夜明けぜよ。日の出っていいですね。始まりって感じですよね。

そうだ 奈良行こう

室生寺の五重塔

 滋賀、京都、奈良3県の神社、お寺巡りに行って来ました。 京都は惠理先生が育ったところなので行く機会は多いのですが、 意外にも奈良に行くのは中学の修学旅行以来でした。 スピリチュアルでない人でも、何やら神聖な、 神秘的な、厳かな雰囲気は感じられると思います。 それがスピリチュアルだと思います。  

 スピリチュアルというと、なにやら怪しげに感じますよね。 超常現象的な世界を想像する人もいるかと思います。 ライトハウス英和辞典によると、 ① 精神的な、霊的な、心の ② 崇高な、気高い ③ 神聖な、気高い  とあります。 怪しげな言葉は「霊的な」だけです。 しかもゴチックで強調されているのが、精神的な、です。  中でも奈良では、崇高な、神聖なエネルギーを感じました。  

 まさに古都です。いいですね「古都」。 何しろ京に都があった平安時代より古いのです。 京都の神社仏閣とは、ひと味違います。 談山神社、長谷寺、室生寺、どこも素晴らしかった。 殊に室生寺には、とても惹かれました。 まさに森閑という言葉そのままです。 森の中に閑(しずか)に本堂を始めとした建物が、 たたずんでいる。そんな感じです。

 京都は美しく整っていますが、 奈良は、自然のまま、武骨にそこにある。  都会の喧騒を離れ、しばし幽玄の中に身を置く。 なんて贅沢な時間でしょうか。 ああ、日本人に生まれてよかった。 そう思います。日本人の精神性を感じます。 これからは、また奈良には行くような気がします。