白黒決めることについて

 僕が駆け出しの新聞記者だった頃、先輩記者から言われたことを今でもはっきりと覚えています。

 「曖昧な記事は書くな。右なのか、左なのか。はっきり示さないと読者は迷う」と。正確ではないかもしれないけど、まあそんな内容でした。

 でも世の中には白でもない、黒でもない、グレーはあるよな。そう反感を抱いたのですが、そうじゃないんですね。グレーをはっきりと「グレーです」と書けということです。「グレーに見えるけど、そうじゃないかもしれません。ま、グレーみたいなもんですかね」というようなことは書くな、ということです。

 しかし記事はいいけど、日常でも白黒を断定する習慣が身についてしまいました。それって極端ですよね。

 今のアメリカを見ていてそんなことを思い出し、考えてしまいました。トランプVSバイデンが象徴的です。「アイツの言っていることは間違いだ。嘘だ」と決めつけ、バッサリと切り捨てる。相手も同じ。分断ですね。民主主義からは程遠い。

 心が狭くなってきました。世の中全体に。だから閉塞感が漂ってきている。思い出すのは王貞治さんのこと。彼は台湾人として差別を受けて苦労したようです。そして身に着けた処世術でしょうか。相手の異見を違うなと思っても「そうですね」と必ず受け止める。その上で「僕はこんな風にも思うんですよ」と柔らく伝える。とても勉強になりました。

 世の中に100%はなかなかない。天皇を知らない人もいる、たぶん(笑)。びっくるするようなことはありますよ。でも、それはそれ。否定はよろしくない。すべて聞き入れたうえで、自分の意見も言えばいいと思うようになってきました。

 アメリカを見ていて思ったことです。では、また。

ペレレイ、ペレレイ。感謝、感謝。ヒーリングで穏やかになりましょう!

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