トランプ

いたるところで分断です

 「名前はなんて言うんだ」とコンビニの入り口から店内に向かって大きな声を出している年配男性がいました。ちょうど通り過ぎる時に店内を覗くと、きつい口調と表情で「マスクをしてないから」と手で追い払う仕草をしている男性店員がいました。

 どっちもどっちなのかな。マスクに効果があるのかどうかはさておき、みんながしている中ではやはりしていない方が不利。しかし店員の態度もまた極端だと思いました。

 朝のNHKニュースでは、防じんマスクをして患者にあいさつをした医師が解雇され、医療機関を訴えてい裁判で、さいたま地裁が解雇を不当とし、2000万円の支払いを命じたと報道していました。医療機関の言い分は、防じんマスクとゴム手袋をして患者の不安を引き起こした上、職場の秩序を乱し、甚大な被害を及ぼしたというものです。

 これもどっちもどっちという気がいたします。防じんマスクはちょっと行き過ぎじゃないかと思いますし、解雇しちゃうのもどうなかな、と感じます。

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が「コロナがどういう形だろうと必ずやる」と発言したことに対し、世界のメディアは「とんちんかん」などと批判が相次いでいるという問題。

 森さんの、出たい人、見たい人の気持ちを慮る姿勢はわかりますが、やはり言い方が強すぎますよね。

 すべて、どちらも極端です。だから分断してしまうのではないでしょうか。

 米国のトランプ共和党とバイデン民主党の戦いから、分断という言葉がクローズアップされました。それは世界中、日本の片隅にまで広がっている感じです。世の中が、どんどんギスギスして行きます。寂しいですね。悲しいですね。どうしたらいいのでしょうか。

 コロナで何が起きているのか。誰が得をするのか。誰でも幸せに生きる権利がある。それを侵害することは許されない。ただいつの世も、悪人はいなくなりません。せめて自分は、そういう流れの中でも負けずに、人生を楽しんで行きたいと思います。一人でも多くそうあってほしい。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

ITは剣より強し、なのかな

 米SNS各社がトランプさんのアカウントを相次いで停止したことが、「表現の自由」との関連で議論が起きている、という記事が1月18日付の朝日新聞に掲載されました。

 ニューヨークタイムズは最近のIT王手の決断について「正しいと思う」としながらも、「彼らがまるで最高裁のように振る舞っているのを見ると、極端に気持ちが悪い感じがする」と指摘しているそうだ。

 なかなか過激な表現ですね。

また朝日新聞のインタビューに答えた、米国で大きな影響力を持つ人権擁護団体「米自由人権協会(ACLU)」の前会長であるナディーン・ストロッセン・ニューヨーク法科大学院名誉教授は「表現の自由と民主主義の原則から考えると、憲法や法律上の責任がなく、選挙で選ばれたわけでもない一企業や個人が強大な権限を持つというのは非常に大きな問題だ」としている。

 さらにインタビュアーの朝日新聞記者は質問の中で「SNSは言論をめぐり、一つの国の政府以上に大きな影響力を持っているという指摘もある」と表現している。

 もっともニューヨークタイムズもストロッセンさんも朝日新聞もトランプ否定派で、彼の肩を持っている立場にはない。ただIT企業の振る舞いにも大いなる疑問を呈している、ということですね。

 巨大IT企業のバックには国際銀行家(アルファベットRの頭文字を持つ2つの巨大財閥)がいるらしいです。この二つの財閥だけで世界の富の恐ろしい割合を占めているとか。僕は直接当事者の話を聞いていない(聞けるわけない)けど、知っている知識人に聞いた話や著作を読ませてもらって勉強し、まあその人たちが言うことは本当かな、と思った上でこの文章を書いております。

 GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)とマイクロソフトの5社だけで、いったいどれほどの「権力」を持っているか。考えただけで恐ろしい。もはや帝国主義的、ファシズムのようなものだと思います。

 30年前に戻れない今、僕たちはネットワークを奪われたら、何もできなくなると思います。つまり知らず知らずのうちにIT帝国の支配下になってしまっているのではないでしょうか。

 怖いですね。では、これから僕たちはどうしたらいいのか、何ができるのか。少しずつでいい、みんなが世界で起きている不気味な動きに耳を澄まし、目を凝らし、疑問を感じて、考え、行動していく時期が来ているように思います。

 坂本龍馬的、世の中をひっくり返せるパワーを持っている超人が出現してほしいと思います。

 ペレレイ、ペレレイ。惠理先生は「愛」の力で世の中に光を降り注ぐ努力を重ねております。ヒーリングで元気になりましょう!

 では、また。

白黒決めることについて

 僕が駆け出しの新聞記者だった頃、先輩記者から言われたことを今でもはっきりと覚えています。

 「曖昧な記事は書くな。右なのか、左なのか。はっきり示さないと読者は迷う」と。正確ではないかもしれないけど、まあそんな内容でした。

 でも世の中には白でもない、黒でもない、グレーはあるよな。そう反感を抱いたのですが、そうじゃないんですね。グレーをはっきりと「グレーです」と書けということです。「グレーに見えるけど、そうじゃないかもしれません。ま、グレーみたいなもんですかね」というようなことは書くな、ということです。

 しかし記事はいいけど、日常でも白黒を断定する習慣が身についてしまいました。それって極端ですよね。

 今のアメリカを見ていてそんなことを思い出し、考えてしまいました。トランプVSバイデンが象徴的です。「アイツの言っていることは間違いだ。嘘だ」と決めつけ、バッサリと切り捨てる。相手も同じ。分断ですね。民主主義からは程遠い。

 心が狭くなってきました。世の中全体に。だから閉塞感が漂ってきている。思い出すのは王貞治さんのこと。彼は台湾人として差別を受けて苦労したようです。そして身に着けた処世術でしょうか。相手の異見を違うなと思っても「そうですね」と必ず受け止める。その上で「僕はこんな風にも思うんですよ」と柔らく伝える。とても勉強になりました。

 世の中に100%はなかなかない。天皇を知らない人もいる、たぶん(笑)。びっくるするようなことはありますよ。でも、それはそれ。否定はよろしくない。すべて聞き入れたうえで、自分の意見も言えばいいと思うようになってきました。

 アメリカを見ていて思ったことです。では、また。

ペレレイ、ペレレイ。感謝、感謝。ヒーリングで穏やかになりましょう!