新発見! 美人の見分け方

 なかなか刺激的なタイトルでしょ。ほぼ全員がマスクをするようになって、分かったことがあります。

 「あ、この人は美人だな」と思って見ていたら、マスクを外した瞬間に、拍子抜け! ということが何回かありました。美人の条件は「目」にあると思っていたのですが、どうやら認識を変えないといけないようです。

 実は顔のド真ん中に鎮座まします、お鼻さん。そして口元が意外とポイントゲッターだったんですね。いくら眉目秀麗でもマスクを取った途端、団子っぱながデーンと現れたり、口元がだらしなかったりすると、もういけません。失礼。

 ただし、まだ例外に遭遇はしていませんが、逆は違うかもしれません。つまり、この人は残念ながらおブスちゃんだな、と思っていたらマスクを外して見ると超美人だったというケース。鼻筋通って、色気の溢れた唇が揃ってお出ましになったとして、目が小さかったり細かったりしたら、やはり逆転は難しいかもしれません。

 美人を例に出しましたが、たぶん男にも言えるかと思います。あまり顔のことについて触れるのは、心根をないがしろにした上滑りの野郎かと思われるかもしれませんが、それでも顔つきは大事だと思います。第一印象しかり。大人になったら、顔は自分で作るもの、ということしかり。親から授かった造作が少々残念でも、素敵に見えるようになるもんですから。

 つまり半分、片側、だけを見て全体を見誤るな、ということでしょうか。すべてを見ないと判断できない。ちゃんと全体像を見て考えましょう、ということでしょうかね。

 顔の流れついでに、イケメンについての愚考を次回触れてみようかなと思います。

 あ、ひとつおもしろいことがあります。惠理先生のヒーリングを受けるとビフォア・アフターで顔つき・表情が激変します。美しくなります。何ででしょう。まとわりついている不純物がはがれるからかな。リフトアップするんです。エネルギーによる美顔ですね。ぜひ、どうぞ。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

今は戦国時代かディストピアか

 「噓つきは泥棒の始まり」

小さい頃、親からそう言われて嘘をつくことの非について戒められたことはありませんか。

 今、思うに泥棒なんてかわいいもんじゃないですかね。嘘をつくサイドが国家権力だったり、世界を牛耳る資本家だったとしたら、ヤバいと思いませんか。

 権威は嘘をつかない。そう刷り込まれて盲従する。99パーセントの人が信じれば、それは本当のことになります。1パーセントの人が何を言っても信じてもらえない。そんな世の中になりつつあるような恐ろしさを感じます。

 多数が正解。表面上は民主主義。でも嘘つきの誘導だとしたら、それは覇権主義、帝国主義、ファシズムのような気がします。

 いま放送されている大河ドラマ「麒麟がくる」は戦国時代です。たまたま僕も今、武田信玄、上杉謙信、北条早雲の小説を読んでいます。当時は調略、謀反の渦巻く世界でした。味方がいつ敵に寝返るか分からない。うかつに人を信じれば馬鹿を見る。

 今風の表現をするならば、ユートピアと真逆の世界「ディストピア」ではないかと思います。コロナ禍を喧伝して多くの人を恐慌に陥れ、規制をかけていく。飲食店がまず犠牲になり、旅行、運輸関係も衰退させられていく。

 コロナで犠牲になる人より、経済的に追い詰められ自殺に追い込まれていく人々は今後ますます増えていくことでしょう。

 体制を盲目的に信じるのではなく、今は乱世なのだと覚悟して、自分の耳目・五感をフル動員して真実を見極める。そういう人が少しづつでも増えて行かないと世の中は変わりません。もしくは超絶スーパーマンが現れるとか。

 夢だけは持ち続けたいですね。田舎で暮らすのもいいです。仲間を少しづつ増やしてユートピアを作っていく。謀略の外で、自然の中で、生き生きと人生を地球を楽しむ。それが本来の姿だと惠理先生は言い続けています。

 ヒーリングで心身のクリーニングをしましょう。そして嘘のない真実の世界に魂の仲間と一緒に入って行きましょう。ペレレイ、ペレレイ。では、また。

自然体は難しい!?

 最近、有名バンドのボーカリストがドラマに出演しています。日本テレビ『ウチの娘は、彼氏が出来ない‼』には、Alexandrosのボーカル、ギタリスト川上洋平が出ています。

 演技はお世辞にも上手とは言えないと思います。何でしょう。のっぺりしているというのか、セリフは棒読み的な。「ワタリドリ」を歌っているビデオを見るとメチャクチャかっこいいんですけどね。

 もう一人。放送が終わった朝ドラ『エール』で古賀政男役を演じたRADWINPSのボーカル、ギタリスト野田洋次郎。アニメ映画『君の名は。』の主題歌「前前前世」で知られています。

 この人の方が川上洋平より良かったと思いますが、それでも表情にメリハリがないというのか、平板だったと思います。ざっくり表現するなら、お二方とも自然体ではなかったということかなと思います。

 そりゃ無理ですよね。畑違いで、訓練を受けていませんから。そこで昔のことを思い出しました。プロ野球選手もかつてはよくCMに起用されていました。撮影現場に取材に行ったものです。

 みなさん概ね棒読み、無表情。ところが一人だけズバ抜けてナチュラルでうまい人がいたんです。元巨人のエース江川卓さん。野球解説だけでなく、今でもタレントとして幅広く活躍しています。

 共演者が気の毒になるほどに上手でした。自然でした。何ででしょう。訓練などしていませんから、センスとか才能とかなんでしょう。

 ひとつ言えるのは、程よく緊張はしているでしょうが、緊張が度を過ぎて硬くなることがない。余裕なのか、肩の力が抜けている。良く見せようという意欲は必要だと思いますが、それが強すぎて萎縮してしまうこともない。そんな感じでしょうか。

 僕は若い頃、後に日刊スポーツの社長、佐渡市長を歴任した先輩や、テレビ局に転職した同僚に「肩の力を抜け」と言われていました。自覚はないんですけどね。でも、今思えば、力は入り過ぎていた(笑) だから悪いとは思いません。それでなければ闘ってこられなかった。生きてこられなかった、とは感じます。その上で思います。自然体はいいな、と。その方がカッコいいです。

 ペレレイもパワフルですが、自然の力ですよ。惠理先生のペレレイヒーリングを受けて本当の自分、力の抜けた自分を取り戻してください。ではまた。

「読む」ということについて

 書くことは好きですが、読むことがさらに好きです。ただし量は多くない。速読ができず、遅読だからです。読みたい本がいっぱいあり、渋滞していますから、もっと速く読みたいのですが、これがなかなかできない。

 皆さんは黙読ですよね。活字を目で追って読むやつ。僕の場合は音読に近い黙読なんです。声に出していないけど、頭の中で一文字づつ丁寧に音読しているのです。子供の頃からずっとやってきたので、いまさら速く読むことができない。

 じゃあ内容をしっかり記憶しているかというと、しばらくすると忘れてしまう。よほど衝撃的な内容でない限り、いともたやすく記憶から消えていく。

 どうせ忘れるなら斜め読みでもいいじゃないか。とはならないのです。それだと読んでも頭に入らない。つまり頭が悪いんです。いちおう読んでいる時は理解したい。味わいたい。その挙句、忘却のかなたに行ってしまうものは諦めるしかない。

 どうせウン〇になって出てしまうんだから、食うことないじゃん、とはならないですよね。いちおう栄養を吸収しないと(喩えが違うか!)

 だから書評家とか尊敬してしまいます。もの凄い読書量。しかも隅々まで覚えている。たぶんメモはしているんでしょうが。仕事だから当たり前か。

 僕はいつでもどこでも隙あらば読んでいたい方です。朝の散歩帰り、日本大通りにある「gooz」で本を読む時が至福です。春は新緑、秋は紅葉を愛でながら。今は裸木ですけど、それはまたそれなりに。

 半身浴でゆっくりと湯に浸かりながら読むのも好きです。整体の先生からは「お風呂で温まりながら体を動かすと効果的」と言われていますが、読む行為とは両立できない! 残念。

 寝る前のベッドの中で、眠気と戦いながら読むのも悪くない。スタバなどでコーヒー飲みながら読むのも大好きだ。電車の中もいい。机に座って読む習慣はないんです。せいぜいリビングのソファに座って。いつでもどこでも読みます。

 読んだ内容が血となり肉となれば最高なんですけど。読書量も多くないし、役立たずの読書ですが、読みたいものを読みたい時に読みたい場所で読む。ただそれだけです。

 ではまた。ペレレイ、ペレレイ。

松井秀喜さんに教えられたこと

 僕が新聞記者の現役時代、「この人は大きいなあ」と思った人に元巨人、ヤンキースの松井秀喜さんがいます。僕より16歳も年下でも尊敬できます。

 彼が実績を積み重ねる前の駆け出しの頃は、いろいろネガティブな記事も書かれていました。ところが彼はまったく気にしなかったのです。「書かないでください、と頼んでも書きますよね。だったら、気にしても仕方がない。僕が努力して変えられることならやりますけど、できないことで悩んでもしょうがないですよ」と、あっけらかんとしていました。

 だから、松井秀喜さんのことを悪く書く人はいなくなっていきました。凄いですね。

 僕たちの悩みの大半は、自分の力ではどうしようもないことではないでしょうか。自分の力で解決できるのに、それをしないで愚痴をこぼしているのは、ここでは問題外としましょう。

 自分にできることは頑張ってやる。でも絶対に自分の力の及ばないことであるならば、悩まない。これは大変大きな指針になると思いませんか。

 とは言っても、簡単ではありません。そこまで達観できることが難しいのでしょうけどね。

 でも松井さんが言ったことは、頭の中に入れて置くといいかもしれません。少しは心の負担が軽くなるかもしれません。

 心の負担を軽くするといえばペレレイヒーリングもそうです。矢後恵理先生の愛のヒーリングで癒されてみてください。閉塞感の充満する時代だからこそ、人の真心のこもったエネルギーは必要だと思います。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

我慢が快感になる!

 表題を見ると、かなりマゾっぽいですね(笑)

 僕はお酒が好きで週1日の休肝日も辛かったのです。ところが大手術後、退院後の1カ月検診までは酒を飲まないよう担当医から言われました。飲んでもいいけど自己責任でと。

 これまでですと「うつ病かノイローゼになっちゃうかも」と医者を脅し、結局は飲酒OKをいただいて飲んでいたのですが、さすがに今回ばかりは諦めました。

 もっとも入院前から退院まで2週間飲めずにいたので、退院後も意外と苦痛にならずにお酒を飲まずにいられました。逆に飲まない良さも分かったのです。焼鳥はビールなしで食うなんて考えられない愚挙と思っていましたが、ライスがうまくて丼3杯食らいました。こっちの方が62歳にあるまじき暴挙でしょうか。

 で、今年に入って週の半分、3日から4日をノンアルデーとしているのですが、意外と何とかなっています。悲しいかな、それだけ年取ったということの裏返しでしょうが。

 メリットとしては、食事だけの楽しみも「アリ」だな、と思うことです。食事とアルコールは素敵なマリアージュである、ともちろん思いますが、確かに焼肉でライスはうまい! これもアリなんですね。

 つまり食わず嫌いじゃないですが、決めつけはいけないようです。何にでも良い側面がある。100%善もなければ悪もない。お酒を抜くことにより、頭がすっきりし、少しはまともな思考も浮かんで来るやもしれませぬ。

 還暦過ぎて人生の半分を経過しましたので(!) また違った人生の滋味なるものを味わっていきたい所存でございます。ペレレイ、ペレレイ、

 では、また。

ホワイトアウト経験あり

 1月19日、東北自動車道でホワイトアウトが発生し、140台が立ち往生し、お一人が亡くなったというニュースがありました。

 真保裕一さんのサスペンス小説にも「ホワイトアウト」という手に汗握る快作がありましたが、実は僕も経験しています。

 もう四半世紀近く前の事。30代後半、青森支局に転勤になりました。どこの取材の帰りだったか、まったく覚えておりません。東北自動車道に乗り、青森インターチェンジで下りて支局に戻ろうとしていた時でした。いきなり雪が激しくなったと思うと、アッと言う間に目の前が真っ白になりました。フロントガラス一面に雪がかかってしまい前方がまったく見えません。が、止まることもできない。後ろから追突される危険性があります。ウインドウを下ろし、前方を確認しながら、時速10キロほどで走りました。時々、ドアを開けて路面の様子もチェックしながら途方もない時間をかけて終点までたどり着いたことを覚えています。

 怖かったです。あまり経験したくありません。青森では地吹雪が当たり前のようにあるのですが、旅行者には珍しいため「地吹雪体験ツアー」なんて企画もあって、取材したことがあります。とはいえ、都合よく吹くことは難しく、僕が取材した時はさっぱりだったので、関係者にお話を伺うだけで体験はできませんでした。

 地面に降り積もった雪が、強風で吹き上げられる事象を地吹雪といいます。地吹雪がホワイトアウトにつながるわけですね。体験取材は空振りでしたが、何と高速道路上という過酷な状況下で図らずも体験してしまうということになりました。

 自然の猛威は恐ろしいです。何事も油断せず、大自然に対しては謙虚に対した方がいいですね。くれぐれもなめてかからないことが肝要かと思います。お亡くなりになった方の冥福を祈るとともに、今年は暴風雪が多発しており、まだまだありそうなので、気をつけて行きましょう。

 ペレレイ、ペレレイ。では、また。

 

ITは剣より強し、なのかな

 米SNS各社がトランプさんのアカウントを相次いで停止したことが、「表現の自由」との関連で議論が起きている、という記事が1月18日付の朝日新聞に掲載されました。

 ニューヨークタイムズは最近のIT王手の決断について「正しいと思う」としながらも、「彼らがまるで最高裁のように振る舞っているのを見ると、極端に気持ちが悪い感じがする」と指摘しているそうだ。

 なかなか過激な表現ですね。

また朝日新聞のインタビューに答えた、米国で大きな影響力を持つ人権擁護団体「米自由人権協会(ACLU)」の前会長であるナディーン・ストロッセン・ニューヨーク法科大学院名誉教授は「表現の自由と民主主義の原則から考えると、憲法や法律上の責任がなく、選挙で選ばれたわけでもない一企業や個人が強大な権限を持つというのは非常に大きな問題だ」としている。

 さらにインタビュアーの朝日新聞記者は質問の中で「SNSは言論をめぐり、一つの国の政府以上に大きな影響力を持っているという指摘もある」と表現している。

 もっともニューヨークタイムズもストロッセンさんも朝日新聞もトランプ否定派で、彼の肩を持っている立場にはない。ただIT企業の振る舞いにも大いなる疑問を呈している、ということですね。

 巨大IT企業のバックには国際銀行家(アルファベットRの頭文字を持つ2つの巨大財閥)がいるらしいです。この二つの財閥だけで世界の富の恐ろしい割合を占めているとか。僕は直接当事者の話を聞いていない(聞けるわけない)けど、知っている知識人に聞いた話や著作を読ませてもらって勉強し、まあその人たちが言うことは本当かな、と思った上でこの文章を書いております。

 GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)とマイクロソフトの5社だけで、いったいどれほどの「権力」を持っているか。考えただけで恐ろしい。もはや帝国主義的、ファシズムのようなものだと思います。

 30年前に戻れない今、僕たちはネットワークを奪われたら、何もできなくなると思います。つまり知らず知らずのうちにIT帝国の支配下になってしまっているのではないでしょうか。

 怖いですね。では、これから僕たちはどうしたらいいのか、何ができるのか。少しずつでいい、みんなが世界で起きている不気味な動きに耳を澄まし、目を凝らし、疑問を感じて、考え、行動していく時期が来ているように思います。

 坂本龍馬的、世の中をひっくり返せるパワーを持っている超人が出現してほしいと思います。

 ペレレイ、ペレレイ。惠理先生は「愛」の力で世の中に光を降り注ぐ努力を重ねております。ヒーリングで元気になりましょう!

 では、また。

丁寧は「愛」だ

 知人の集まりで、歌手の日野美歌さんとご一緒させていただく機会がありました。昨年末には、ディナーショーにも行かせていただきました。

 ディーナーショーは、隣のテーブルに女優の秋吉久美子さんもいて、昔から大ファンだった惠理先生は興奮していましたよ。握手もしていただいて、お話もできたと大喜び。

 さて美歌さんです。とても丁寧に歌い上げていく、という感じです。あー、歌が本当に好きなんだなという気持ちが伝わってきます。歌うことに対する「愛」を感じました。

 その姿勢、気持ちは例えば僕で言えば文章にもつながります。自分は軽い気持ちで雑に書いていなかったか? と反省してしまいます。何にでも通じますよね。文字を書くこと。人と話をすることも同じではないでしょうか。

 何に対しても丁寧に。雑にならないように。愛をこめて。いいですね。日野美歌さんの歌に教えて頂いたことです。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。ヒーリングも愛です。惠理先生は、クライアント様お一人お一人に対して、「愛」をこめてヒーリングをしております。愛を受け取りにいらしてくださいね。

事実はどこにあるのかな

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を惠理先生と楽しみに観ています。もうすぐクライマックスの本能寺の変です。

大河でなく、大海ですみません。

 それを前に興味深い記事が1月3日付け朝日新聞に独自ダネとして掲載されました。これまでの定説を覆すもので、光秀は本能寺には行かず、8キロ南の鳥羽に控えていという古文書が見つかったというのです。事件から87年後にまとめられた加賀藩の兵学者、関屋政春が書いた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」。この中に当事者の証言がありました。事件に関わった重臣斎藤利光の三男利宗が、甥で加賀藩士の井上清左衛門に語ったものです。これまでの定説では光秀が現場にいたことになっていますが、実は裏付ける資料はないのだそうです。発見した人も東大教授も信ぴょう性の高さを認めています。

 びっくりですね。さて大河ではどう描写されるのか、といっても撮影はだいぶ前に終わっているから、どうしようもありません。たぶん。

 僕が言いたいのは、「事実」についてです。400年以上も前のことなんか分かるわけないよ、というのも分かります。ただし「事実」はひとつです。それがちゃんと伝わってこなかった。「事実」は変わらないのですが、歴史は変わりますね。

 さらに言いたいのは、じゃあ現在はどうなのか、ということです。すべて事実だけが伝えられているのでしょうか? つい70数年前の第2次世界大戦はどうでしたか。敗戦へまっしぐらに突き進んでいるのに、大本営発表は連戦連勝。報道も追随しました。国民は騙されました。

 では画像は本物か。例えば野球中継で今は投手後方のセンターカメラからバックネットを背景に打者との対決を写すことが主流になっています。観客が500人しかいなかったとして、全員をバックネット裏に集め定点で最後まで放送をしたら、見ている人は満員だったと勘違いしますよね。

 本当のことを知るのは、証明するのは取材できない一般の人には難しい。それでもこれまでの人生観、知識、五感を総動員して疑ってかかり、せめて「真実」に近づかないと、だまされてしまうということです。

 権力は続けば腐りやすいです。何でもできるし、やってしまう。だまされるのは力のない私たちですよ。目を開きましょう。そう言いたい例として過去の発見を出しました。

 珍しく真面目になりました。ペレレイ、ペレレイ。ヒーリングでたまった垢をそぎ落とし、スッキリしましょう。では、また。