うんこの話ですよ

 うんこが流行っているのか、流行っていたのか…。子供たちには「うんこドリル」が人気を集めているのか、集めていたのか…。どっちでもいいけど。

 横浜駅前のアソビルの中には「うんこミュージアム」が一昨年にオープンしました。行ったことないけど。

 子供が、うんこに抵抗がないのは、いいことだと思います。僕が小学生だった50年前とは雲泥の差です。不思議な気持ちになります。

 昔は、小学校で大の個室に入っているところを知られようものなら、大変でした。「お前、うんこしたのか」「きったねえ」「エンガチョ」なーんてね。それが、とにかく嫌で学校での排便は我慢をしていました。

 今思えば馬鹿げているじゃないですか。なんで、そういう理不尽なことを言う輩(やから)がいたのか。僕は、なんで、いじめっ子(昔から「いじめ」はありましたよね)に向かって言えなかったのかな。「じゃあ、お前は絶対にうんこしないんだな。24時間、1週間監視してやろうか。絶対にするんじゃねーぞ」ってね。

 ま、言えないから、今の僕があるんですけど。うんこが流行っているのを知って、昔を懐かしんでおります。

 今どきの子供は、小学校でも平気で大便をしていらっしゃるのかな。だとしたら、とても羨ましい環境です。時代の移り変わりは実に興味深い。と、還暦少年は思います。

 くだらない話(下痢はくだりますが)ですみません。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

僕と俺、私とあたし

 自分のことを何と呼んでいますか。女性は名前を呼ぶ人もいますよね。大きくなっても。男はいないかな。

 僕は、僕のことを僕と呼んでいます。しつこいですね。ところが、たまに俺になります。何でだろう。

 村上春樹の一人称単数は、全部確認していないので断言できませんが、たぶんほとんど「僕」だと思います。「俺」じゃ作風が変わってしまいます。つまり、すでに呼称で「キャラ」付けがある程度なされているということですかね。となると、僕は自分のキャラが今だに分かっていないということでしょうか?

 「僕」は青少年ぽいですよね。「俺」はちょっと男っぽいというか。「俺なんざよお」的な。で、男が「私」と呼ぶのは公の正式な場面ではあるでしょうが、日常ではちょっと気持ち悪い感じもあります。

 女性は圧倒的に「私」が多いのではないでしょうか。そんな中で、単に発音の問題かもしれませんが、「あたし」という人もいますよね。ちょっと、はすっぱな印象があります。どうでしょう。

 さて、英語はすべて「I」(アイ)ですよね。敬語もないし、いたって面倒がない。でもキャラクターが立たない感じがします。それってどうなんでしょうか。物語を作る上のキャラ設定ですが。どうでもいいのかな、そんなこと。英文学に傑作は数多くありますからね。逆に日本文学の世界進出はまだまだですから。人称の問題も含めて翻訳は難しそうです。

 ま、どうでもいいことでしたかね、失礼いたしました。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

味噌の力が半端ない

 「半端ない」シリーズのパート2です。味噌が体にとてもよろしいようです。中でも味噌汁。元気な時に飲んでも分かりませんが、調子の悪い時には効果が感じられます。

 二日酔いの時など、惠理先生は「味噌汁を飲むといい」と言います。「ほんまかいな」と、騙されたと思って飲んだと思いねえ。これが確かにスッキリするんです。

 元気な時に「ユンケル黄帝液」を飲んでも分からない。ところが漫画家などが徹夜するとき、3000円!の高級液? を飲むと活力モリモリだそうです。ほんまかいな。ユンケルと味噌汁を比べてどうする。

 惠理先生は毎年、味噌を手作りしています。「有機栽培玄米」「有機栽培麦」「自然栽培白米」「自然栽培玄米」など種類は豊富です。しかもペレレイのエネルギー入り! それでどう違うんだよって言いますか? じゃあモーツアルトを聴かせる胎教はどうなのよ。それは命だから違うでしょって? 味噌も命なんです。何しろ発酵しますからね。

 この惠理先生がペレレイの生命を吹き込んだエネルギー入り味噌のパワーが半端ありません。お世話になっている人に差し上げておりますが、「元気になる」と評判はよろしいようです。「まずかった」なんて言うわけないけどね。

 いずれにしても野菜など具だくさんの味噌汁は美味いだけでなく、体にもいいと感じます。日本人ならではの活力源ですよね。さあ今日も味噌汁を飲んで1日を楽しむぞ。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ(ペレレイも元気に発酵中です!)

念力の引き寄せが半端ない

 最近、願い事が叶うスピードが早まっています。僕の力のわけがありません。ほぼ惠理先生の念力パワーによるところだと思います。

 新車を買ってマンションの立体駐車場を借りました。1区画3台並列の3層です。狭い上に両サイドは壁、柱があって難しい。帰宅して、惠理先生が駐車をしているところに、お隣のベンツの方でしたが、出庫のため待ちながら様子を見ています。惠理先生は慣れていない上に明らかに動揺して焦っています。

 僕は「この駐車場は初めてで慣れていないもんで」と言い訳をしました。すると、やや強面の男性は「端は難しいです。真ん中が空いていますよ。地下ですが。真ん中は簡単ですから、替えてもらったらいいですよ」と情報を提供してくれました。

 ただ地下は惠理先生が嫌っているのです。そんな話を管理人にしたところ、なんと「2階の真ん中が4月1日から空きます。替えましょうか」と言うではありませんか。なんと、そんなことがあるのでしょうか。願ったり叶ったりとは、このことでした。

 さらに。我が家に招待したいビッグな方がいるのですが、招くためには片付けておかなければいけません。突然では無理なことです。ところが…。外出先だったのですがビッグな方が我がマンションの隣の焼肉屋に来ているとの連絡があり「この後どこかで合流しますか」と誘われた時です。その日はたまたま家中を掃除、整頓していたのです。びっくりのタイミング。お陰様で、我が家に招待してお酒を酌み交わすこととなりました。

 実に他愛のないことばかりですが、最近はこんなことの連続です。惠理先生は「シンクロが凄い」と言っています。シンクロニシティ。ニャーるほど。素晴らし過ぎます。

 シンクロ万歳。次は何が叶うかな。楽しみです。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ(もちろん、ペレレイの力に負うこと大なのは言わずもがなです)

ファストフードとスローライフ

 江戸時代にもファストフードはあったんですね。出口治明さんの『0から学ぶ「日本史」講義 戦国・江戸篇』を読んでいたら、おもしろいことが分かりました。握り寿司のことなんですね。

 1824年に華屋与兵衛が登場し、与兵衛寿司を作ったのが握り寿司の始まりだそうです。それまでは魚を発酵させた熟(な)れ寿司や押し寿司が中心でしたが、獲れたての魚をそのまま切ってご飯ごと握るのでファストフードというわけです。今の和食チェーン店「華屋与兵衛」とは関係ないそうです。

 なーるほど。現代なら、すぐ思い浮かぶのがマックやケンタですよね。しかしながら惠理先生は、遺伝子組み換えの疑いを感じる店は敬遠します。健康を気遣ってのことですが、僕の体のことも心配してくれています。

 もう一つは電子レンジとの決別です。壊れたことを契機に、電磁波のほとんど出ない(と謳っている)スチームオーブンに替えました。電子レンジに使われるマイクロ波も電磁波で、体に良くない上に食材の栄養を壊してしまうそうです(壊れていく様子を目で見たことがないので伝聞推定です)

 このスチームがスローなんです。解凍温めなどは(例えば冷凍保存したご飯)レンジと比べて時間が優に5倍から10倍ほどかかります。だから食事の時間に合わせて、かなり早くから準備を始めます。

 最初の頃は短気な僕としてはイラッとしていましたが、慣れてきました。スローライフです。何しろ原村のことを考えればスローに慣れないといけません。コンビニだって関内は半径500メートルに10軒はありますが、原村は半径2キロぐらいの範囲にないと思います。もっとかなあ…。

 関内では文明に浸かり、原村では縄文を楽しむ。言いすぎか! 失礼。でも精神的にはスローライフ万歳というわけです。外食も控え、というか周辺にあまり店がない。運転代行もないようだから、食は出来ても飲食はできない。車でないと店まで行けないからです。往復タクシーを呼ぶなんざ自殺行為ですよね。

 コロナ禍など無関係に、家食です。家内で二人でクッキングです。暖かくなれば、デッキで八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳を眺めながらキャンプ気分を楽しみます。ファストフードなんて食べたくてもありません。スローライフに徹します。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。(あ、ペレレイの効果は早いか!)

衝撃映像が怖いのだ

 僕は臆病です。怖がり。ビビり。夕方のニュース番組で、よく海外の事故映像が流されます。ゾっとしますね。

 ある時、気づいたことがあります。圧倒的に中国のアクシデントが多いということに。なぜだろう。日本ではあまり見たことありません。

 で、考えました。我がマンションは関内という立地条件(中華街の近く)もあって、中国の人が4分の1ほど住んでいます。日本人とは違う生態を伺うことができます。管理会社によると、やはり周辺は、ここより外側に立地する日本人がほとんどのマンションとは状況が違うとか。まあ、それはいいとして…。

 北京だったか、ユニクロがオープンする日の映像に「衝撃」を受けました。シャッターが上がり始めると、中国人がその隙間から我先に他人を蹴散らして店内に入っていく。割り込み、横入りなんて当たり前。

 すべて自分中心です。欧米の独立精神、個人主義とは違います。中華思想の影響でしょうか。世界の中心にあるのが中国という考え方です。よく言えば誇り高い民族だと思います。

 ワン・ジョンの書いた「中国の歴史認識はどう作られたか」によると、アヘン戦争の起きた1840年から1945年(第2次世界大戦の終結)までの100年が「国恥の100年」と言われているそうです。アヘン戦争でイギリスにコテンパンにのされてからの100年ですね。これが今の中国人のトラウマだと思います。かわいそうではありますが、その反動はあります。とにかく我先に、です。

 日本人は「恥の文化」です。遠慮第一。他人を押しのけることが苦手です。マナー、エチケット、ルール順守。当たり前ですよね。

 この違いかな、と思います。中国で起きる驚愕の事故は、その精神性に寄る部分もあるのかな、と。僕たちは運転するとき、周りへの気配りを必死にしますよね。だから事故らない。もっとも最近の日本人も崩れて来ていて、「あおり運転」など常識はずれの人たちが増えており、嘆かわしいことですが。

 中国を非難しているわけではありません。必ず原因があり、その理解も大事かなと。とはいえ宗教戦争があるくらい、他人の信じる神様さえ否定する狭量の人が多いのが我々人間ですもんね。成り立ちの違う国民性を理解するのは難しいと思います。

 最近、小難しいですかね。でも、よろしくお願いいたします。

では、また。ペレレイ、ペレレイ(ペレレイは愛のエネルギーです!)

鼻水が大洪水やぁ~っ!

 皆さーん、元気ですかっ。僕はグッスン、ズルズルズルー。

 自分が花粉症になるとは、還暦までは思いもしませんでした。まったくの他人事でした。

 ただの風邪(どこかで聞いたような)と思いこもうとしていたのですが、もはや立派な一人前のどこに出しても恥ずかしくない花粉症です。夜中でもクシャミが止まらず、目はかゆく、鼻水が垂れ流れてまいります。

 しかも洗眼薬、点眼薬以外に何の治療、服薬などしておりません。家の中も換気を優先しているため、花粉と共生しております。無駄な抵抗はいたしません。杉様を恨むことなく感謝し、無用の薬は飲んでおりません。

 ひとつ思うのは、鼻水です。いったい、体の中のどこで、次から次へと湧き出てくるのでしょうか。枯渇する気配などさらさらない。鼻水様も恨まず感謝申し上げないといけませんかね。ティッシュの消費量が半端ないので、製紙会社も喜んでいることしょう。

 それでもアナウンサーのような職業の人のことを思えば、僕などまだまだ恵まれています。記者時代は、アナウンサーの方たちとお付き合いをしていました。花粉症で苦しんでいても、まったく理解できず、同情もせず、今思えば随分と冷淡だったと大いに反省しています。

 ごめんなさい。この場をお借りして、謝罪いたします。これからは共に花粉症と仲良く暮らしていきましょう。きっと、いいことありますよ。

 では、また。ズルズル。じゃなかった、ペレレイ、ペレレイ。

ディスプレイは大切です

 久しぶりに行った100円ショップ「ダイソン」のディスプレイが様変わりしていたので、大いに戸惑いました。どこに何があるのか、ようやくわかってきて、買い物がスムーズになってきたところでした。

 「なぜだ!」。そう叫ばせていただきたかったですよ。客から不満が出ていたのでしょうか。店側で変更しなければならない理由とは何でしょうね。

 結局、探しても手間取るばかりで、いちいち店員さんを探して、目当ての商品の配置場所を教えて頂くことになります。

 店舗がリニューアルする場合は仕方ない、と思います。菊名の東急ストアがその例です(とはいえ、だいぶ前の話)内装が劇的に変わってしまえば、配置も変わるでしょう。理解できます。

 ただ陳列棚が元通りなのに、配置がごっそり変わっていると、もう探し物は行方知れずです。また覚えるのに時間がかかってしまいます。で、覚えた頃にまた配置替えなんてことになったら、どうしましょう?

 そんな取り越し苦労はしなくていいのですが、しばらく不便を覚悟で行くことになりますね。トホホ(またまた古い…)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

多才な人が増えました

 ジャニーズの人気アイドル、加藤シゲアキさんが吉川英治文学新人賞を受賞しました。凄いですね。芥川賞、本屋大賞のノミネートに続き、ついに受賞となりました。

 ジャニーズで一流のタレント活動をしているだけで別世界の人なのに、小説家としても本物というわけです。どちらも中途半端ではない。ドエライことだと思います。別次元の人ですね。

 吉本興業の人気お笑い芸人、ピースの又吉直樹さんが芥川賞を受賞したことは記憶に新しいところです。やはり、とんでもないことだと思いました。ただルックスは冴えないし、相方の綾部祐二の陰で目立たない存在だったために、作家になったということも違和感なく受け取れたように思います。根暗系が作家っぽいからかな。

 それに比べて加藤シゲアキさんの場合は、すべてが完璧すぎて、考えさせられてしまいます。一般人には想像を絶します。僕なんてチンパンジーですね。何も才能がない人、あらゆる才能を独り占めしている人。人間って何だろう、人生って何だろうって考え込んでしまいます。

 時代でしょうか。時代って何だ? 明治、大正、昭和前期時代の文豪で歌って踊れるイケメンはいませんでした。森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎がどうでしょうか。タイプを二分すれば又吉系ですよね。どう見たって加藤シゲアキ系ではない。(最も鴎外は医者だから別格ですけど…)

 加藤シゲアキを生んだのは時代でしょうか。現代は何でもやれる、自由な世界。才能があれば誰にでもチャンスはある。ちゃんと門戸は開かれている。

 ですから人を羨んでいる暇があったら、おめーも素晴らしい小説を書けよ、ということですよね。文芸誌の新人賞には誰でも応募できます。ずば抜けた作品を書けば、誰でも受賞してデビューできる。グダグダ言ってんじゃねーよ、です。

 違うのは、加藤シゲアキさんは人気有名人だったから、登竜門を通らなくても出版させてもらえるという恵まれた環境にあっただけ。それは羨ましいけど、そういう優遇を勝ち取れる立場まで辿り着いたのも彼の努力の賜物です。立派です。

 人気タレントは超高額所得者でしょうけど、それなりに深い悩みもあるでしょう。執筆だって苦労を重ねたでしょう。偉いと思います。その上で、やっぱりチンパンジーから見ると、何でだろうって思ってしまうのが悲しい性ですね。

 ま、ここまで頑張ってきた自分を褒めつつ、これからの人生はご褒美だと思って楽しみながらの努力を続けて行こう。そう思います。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

備えあっても患(憂)いは残る

 3回前の『オー・マイ・ニュー・カー』では「備えあれば患いなし。緊張感を味方につけて、楽しみます!」と書いて締めました。楽観的過ぎたか!

 高速に乗る練習もしておこうと、惠理先生とコストコホールセール川崎倉庫に行きました。そうです首都高湾岸線ですから、ベイブリッジも通ります。これは楽しい。

 しかし産業道路に入ると楽しさが吹っ飛びます。トレーラー、大型ダンプなど、とにかく超大型車が前後左右にぎっしり。周囲を取り囲まれての走行です。スピード制限を守って安全運転に徹しているのですが、車線変更の必要に迫られることはあります。緊張メーターがMAXに振り切れます。大型の間に入りたくない。小さい車を見つけました。その後ろに割り込む作戦を決行しようとアクセルを踏んだら、惠理先生から「怖い」という大きな声が。「焦らなくても入れるタイミングは来るから」と。

 ですかね。怖いのは大型だけではありません。小さき者も恐ろしい。交差点を青信号で左折。横断歩道を渡っている人たちがいるので、手前で待ちます。左前方に女の子を視界でとらえていますが、行けると判断。動かし始めたところ、歩道の青信号が点滅を始めたのでしょう。女の子が猛然とダッシュに転じて車の前に飛び込んできました。ブレーキ! 惠理先生の絶叫! イエーイ、ではありません。もう恐怖です。横断歩道は、ぜってえに無理せず「待ち」に徹すべし。教訓。

 もうひとつありました。自転車。左折のウインカーを出し路地に入ろうと動いているところ、車の前を強引に突っ切ろうとするオッサン自転車が現れました。ブレーキ! 惠理先生の悲鳴パート2! イエーイ、じゃあないぜ。「ちゃんと左見た? ぶつかったら、ziziが悪くなるんだよ。もう体が強張った」と泣きそうです。

 左の自転車を見たのは曲がる前です。問題なく左折できると判断して曲がり始めました。曲がりながら最終確認はしていません。突っ込んで来ないと決めつけていました。車の動きなど眼中にないタイプの人々はいます。教訓パート2。

 高速は問題なさそうですが、やはり巨大な大型軍団、小さい子の予測を覆す動き、ちょっとヤバい系の人々の自転車走行、世には恐ろしい物事が満ち溢れています。

 今回の締めは「備えあっても患いは残る」です。あー、原村の運転は楽しい。車は少ない。人も少ない。自転車は見たことない。しかし逆に言うと、この油断の方が恐ろしいのかもしれません。

 最近の口癖、「感謝、感謝」に加えます。「注意、注意」です。では、また。ペレレイ、ペレレイ。