多才な人が増えました

 ジャニーズの人気アイドル、加藤シゲアキさんが吉川英治文学新人賞を受賞しました。凄いですね。芥川賞、本屋大賞のノミネートに続き、ついに受賞となりました。

 ジャニーズで一流のタレント活動をしているだけで別世界の人なのに、小説家としても本物というわけです。どちらも中途半端ではない。ドエライことだと思います。別次元の人ですね。

 吉本興業の人気お笑い芸人、ピースの又吉直樹さんが芥川賞を受賞したことは記憶に新しいところです。やはり、とんでもないことだと思いました。ただルックスは冴えないし、相方の綾部祐二の陰で目立たない存在だったために、作家になったということも違和感なく受け取れたように思います。根暗系が作家っぽいからかな。

 それに比べて加藤シゲアキさんの場合は、すべてが完璧すぎて、考えさせられてしまいます。一般人には想像を絶します。僕なんてチンパンジーですね。何も才能がない人、あらゆる才能を独り占めしている人。人間って何だろう、人生って何だろうって考え込んでしまいます。

 時代でしょうか。時代って何だ? 明治、大正、昭和前期時代の文豪で歌って踊れるイケメンはいませんでした。森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎がどうでしょうか。タイプを二分すれば又吉系ですよね。どう見たって加藤シゲアキ系ではない。(最も鴎外は医者だから別格ですけど…)

 加藤シゲアキを生んだのは時代でしょうか。現代は何でもやれる、自由な世界。才能があれば誰にでもチャンスはある。ちゃんと門戸は開かれている。

 ですから人を羨んでいる暇があったら、おめーも素晴らしい小説を書けよ、ということですよね。文芸誌の新人賞には誰でも応募できます。ずば抜けた作品を書けば、誰でも受賞してデビューできる。グダグダ言ってんじゃねーよ、です。

 違うのは、加藤シゲアキさんは人気有名人だったから、登竜門を通らなくても出版させてもらえるという恵まれた環境にあっただけ。それは羨ましいけど、そういう優遇を勝ち取れる立場まで辿り着いたのも彼の努力の賜物です。立派です。

 人気タレントは超高額所得者でしょうけど、それなりに深い悩みもあるでしょう。執筆だって苦労を重ねたでしょう。偉いと思います。その上で、やっぱりチンパンジーから見ると、何でだろうって思ってしまうのが悲しい性ですね。

 ま、ここまで頑張ってきた自分を褒めつつ、これからの人生はご褒美だと思って楽しみながらの努力を続けて行こう。そう思います。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

備えあっても患(憂)いは残る

 3回前の『オー・マイ・ニュー・カー』では「備えあれば患いなし。緊張感を味方につけて、楽しみます!」と書いて締めました。楽観的過ぎたか!

 高速に乗る練習もしておこうと、惠理先生とコストコホールセール川崎倉庫に行きました。そうです首都高湾岸線ですから、ベイブリッジも通ります。これは楽しい。

 しかし産業道路に入ると楽しさが吹っ飛びます。トレーラー、大型ダンプなど、とにかく超大型車が前後左右にぎっしり。周囲を取り囲まれての走行です。スピード制限を守って安全運転に徹しているのですが、車線変更の必要に迫られることはあります。緊張メーターがMAXに振り切れます。大型の間に入りたくない。小さい車を見つけました。その後ろに割り込む作戦を決行しようとアクセルを踏んだら、惠理先生から「怖い」という大きな声が。「焦らなくても入れるタイミングは来るから」と。

 ですかね。怖いのは大型だけではありません。小さき者も恐ろしい。交差点を青信号で左折。横断歩道を渡っている人たちがいるので、手前で待ちます。左前方に女の子を視界でとらえていますが、行けると判断。動かし始めたところ、歩道の青信号が点滅を始めたのでしょう。女の子が猛然とダッシュに転じて車の前に飛び込んできました。ブレーキ! 惠理先生の絶叫! イエーイ、ではありません。もう恐怖です。横断歩道は、ぜってえに無理せず「待ち」に徹すべし。教訓。

 もうひとつありました。自転車。左折のウインカーを出し路地に入ろうと動いているところ、車の前を強引に突っ切ろうとするオッサン自転車が現れました。ブレーキ! 惠理先生の悲鳴パート2! イエーイ、じゃあないぜ。「ちゃんと左見た? ぶつかったら、ziziが悪くなるんだよ。もう体が強張った」と泣きそうです。

 左の自転車を見たのは曲がる前です。問題なく左折できると判断して曲がり始めました。曲がりながら最終確認はしていません。突っ込んで来ないと決めつけていました。車の動きなど眼中にないタイプの人々はいます。教訓パート2。

 高速は問題なさそうですが、やはり巨大な大型軍団、小さい子の予測を覆す動き、ちょっとヤバい系の人々の自転車走行、世には恐ろしい物事が満ち溢れています。

 今回の締めは「備えあっても患いは残る」です。あー、原村の運転は楽しい。車は少ない。人も少ない。自転車は見たことない。しかし逆に言うと、この油断の方が恐ろしいのかもしれません。

 最近の口癖、「感謝、感謝」に加えます。「注意、注意」です。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

特別じゃない日は特別だ

 またまたCMからのお話です。

 リンナイのホームランドリー「乾太くん」のCMで、流れているコピーが「特別じゃない日は特別だ」。これが耳と目に入った瞬間、「お、いいね」と感心しました。

 どうってことない日常、平凡であることの大切さみたいなことでしょうか。確かに普通でいられることの難しさ、素晴らしさを感じるようになってきました。これまた年を取ったということですかね。

 二葉亭四迷に『平凡』という小説があります(読んでいないけど、笑)。たぶん、最後は平凡の大切さに戻っていくというような内容だと思います。

 二葉亭四迷の生きた明治時代は、小説家など「水商売」でした。四迷は父に「小説家になる」と言ったところ「くたばって死ね」と言われたとか。で、発音を模してペンネームにしたというようなエピソードだったと僕は記憶していました。僕がこんな面白い作り話を思いつくわけないし。ただウィキペディアによれば、自分を卑下して自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったのが由来とあります。どっちでもいいけど、父に「死ね」と言われた方が、時代を表していておもしろいけどね。

 映画『咲む』(えむ)について前回書きました。耳の不自由な人々を巡る人間ドラマ、家族の物語でした。やはり失って分かる有難みが健康です。普通でいられることの何と幸福なことか。それに気づかず、人のせいにしたり、世の中を恨んでいる人はいますよね。

 感謝の気持ちを持って、日常を送って行きたいと思います。特別じゃないことは、特別なんだと思いながら、ね。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

映画『咲む』を観ました

 朝の散歩で仲良くなった知人の息子さんである早瀬憲太郎さんが監督・脚本を務めた映画『咲む』(えむ)を、横浜の南区役所公会堂で惠理先生と観ました。僕が観てきた映画の中で、上位に入る感動をいただきました。

 製作は一般財団法人全日本ろうあ連盟で、創立70周年を記念して作られました。監督さんが舞台あいさつで「ろうあ連盟が制作したと言うと、障害がテーマと思われてしまうのが残念。エンターテインメントの人間ドラマです」と話していました。監督自身が、ろうあ者です。

 縦糸、横糸がどっちか分かりませんが、主人公の女性、両親、妹、家族全員がろうあ者です。主人公の父と祖母との分断が、孫である自分にも暗い影を落としていて、どうなっていくのかなあという人間ドラマ、家族の物語であることは確かです。こっちが縦かな。で、車いすの女性や耳だけでなく目も不自由な老人男性を始めとした高齢者、つまり健常でない人々が織りなすドラマがたぶん横糸であることも確かだと思います。

 最後は水戸黄門的にスッキリ着地するのが定型と言ってしまえば身もふたもなく、でも期待通りに大団円を迎えてくれなきゃモヤモヤしてしまいます。やっぱり日本人に生まれたからには黄門的決着は是非ものです。

 最初のうち主人公は周りの人に「手話」や「筆記」を求める場面が多く、それって甘えじゃないのかと考えてしまったり、つまりなんで読唇術を体得しないのか、発声器官に問題がないのであればなぜ訓練をしてこなかったのか、など余計な疑問が邪魔をしてしまったのですが、途中からは文句なしで泣きながら最後まで観ました。

 やはり、ろうあ者は就職が難しい。結局、父親が生まれた故郷に行って、祖母と暮らすようになる。始めのうちは、村の人々の理解も得られなかったが、持ち前の明るさ、頑張りで村を元気にしていく。こうザックリ書いてしまえば、またしても型通りの展開になってしまうのだけれど、それでも泣かせます。

 監督の思いとは違うでしょうが、やはり生きずらい障害者が道を切り開いていくさまは感動的なんです。車いすの女性が主人公に向かって「なんで障害を乗り越えたの?」と聞くと、「乗り越えていない。ただ真っすぐ前に歩ているだけ」と答えます。

 健常者が偉そうに言うのと違って、やっぱり説得力があると思うのです。理屈抜きで、その姿はたくましく、素晴らしく見えます。

 全国ロードショーではありません。各地の主催団体による上映会です。地味な興行ですが、丘みつ子、島かおり、赤塚真人、宮下順子、次長課長の河本準一など錚々たるキャスト陣にも驚きます。

 一人でも多くの人に見てもらいたいです。大きな事務所が大きな力と資本でメディアを牛耳っている世の中ですが、本当に佳い作品をコツコツと創り出している人々もいます。『咲む』も制作に4年かかっていると知って驚きました。こうした作品はなかなか日の目を見ません。メジャーでないので、人々の耳目に触れる機会がないからです。応援したいですね。エールを送りたいです。

 良いものが、良い人が、普通に世の中で認められるようになれば嬉しいです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

オー・マイ・ニュー・カー

 新車が来ました。乗りました。気分最高!

 しかし怖い。都会の運転はおっかねー。何しろ5年ほど、まともに車を転がしていません。年を取ってからの運転は危ないし、関内で生活する上では必要性もない。維持費は高いし、歩くことが好きだし。

 ところが、原村との二重生活が決まり、車がないとやっていかれません。そこで久しぶりに新車を買ったわけです。

 トヨタのヤリス。チョリース。人気車種です。カッコいいです。運転もしやすい。

 そこで2段落目のお話に戻ります。怖いんです。都会は。一方通行が多すぎます。覚えられない上に、最新のはずのカーナビまでズレている。駐停車も多すぎます。そのたび、車線変更しなければなりません。交通量は多く、スリル満点(笑) ヤバイぞ、これは。大丈夫か?

 まあ、この年になって新たな刺激があることは悪いことではありません。緊張感もよろしい。何と言っても、意外に楽しい。これまたワクワクするんです。とにかく慎重に、安全に運転すればいいと思います。

 原村の方は車も人も少なくて、運転しやすいです。こちらは本当に楽しい。2回、雪道と凍った道も惠理先生と2人で体験しました。(僕は青森支局で恐怖のひと冬を経験済み、笑)

 3月末は引っ越しの繁忙期で通常の2、3倍の料金を取られると言うので、ハイエースをレンタして自分たちでやることにしました。そこで原村ではハイエースの練習もしました。とにかく準備が大切です。

 後は引っ越し前に新車で久しぶりの高速、および長時間運転の練習もやります。備えあれば患いなし。緊張感を味方につけて、楽しみます!

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

僕にも取柄が、あるぅ~

  「影武者 徳川家康」(覚えておいでか、マンションのクリーンステーションから拾ってきた古本)を読んでいて、うれしい文章に出会いました。

「替玉にせよ徳川家の頂上にある身が、一介の忍びに頭を下げるとは、出来ることではない。要するに素直なのだが、六十まで素直なままでいられる男は数少ない。ある意味で非凡な男と云えた。」

 なんと、僕は62歳です。長所、美徳などがほぼない僕とはいえ、子供の頃からひとつだけ褒められ認められたところがあります。それが「洋ちゃんは素直だね」ということなんです。ただ、その一点だけで、なんとか生きてこられたようなものです。

 以来、上記の傾向に一切の変化はありません。裏を返せば成長をしていない。ただし「素直」だけは残っているように思います。今でも言われますから。

 ということは「影武者 徳川家康」の文章が僕ですか? え、非凡ですか! まあ、それはないとしても、嬉しいじゃありませんか。やっと少し誇れるものを見っけました。

 本を読んでいて感動するのは、自分で思っていてもうまく表現できずにもやもやしていたことが、明確に文章として読んで腑に落ちるから、ということを少年時代に読んだか聞いたことがあります。「そうだよ、そうだよ。僕もそう思っていたんだよ」と手を叩きたくなる感じ。それが読書のいいところです。

 自分にもいいところがあるんだ、と思えて、少しは自信もつく。とてもいいことです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

店名、人名の不可思議

 朝の散歩、日本大通りを歩いていると、「白洋舎」と書いてあるバンが停まっていたので、店名について考えてみた。

 「白洋舎」といえばクリーニングというイメージは固まっています。しみ込んでいますね。絶対にラーメン屋とは思わない。

 逆に言えば、「来々軒」なら100%ラーメン屋を想定します。暖簾をくぐってクリーニング屋だったら、のけぞります。間違いなくラーメン屋しかない。洋食屋でもないでしょう。

 名は体を表す。いかにネーミングでイメージを左右するか。もっともこの頃、ベタな「来々軒」はあまり見かけません。たぶん、コテコテで古めかしいからでしょう。

 何度も何度も聞いているうち、馴染んでしっくりくる。そういうことはあります。人名もそう。かつての名プレーヤーに阪神の掛布さんがいました。最初、「かけふ」と聞いた時は違和感全開でした。「え、それ苗字? 」というくらいに。

 ところが活躍を重ねていくにつれ、掛布という名前が新聞、テレビで連呼されますから、いつの間にか違和感は消え、逆にかっこいいとさえ思えるようになります。ついには「か、か、か、か、掛布さん」(金鳥蚊取りマットのCM)で一世を風靡するに至り、「かけふ」という語呂もすっかり定着してしまう。

 外国人名もそうです。オードリー・ヘップバーンなんて、子供は発音しにくかった。大女優になって、世界中で連呼されていうるうち、輝いて聴こえるようになるから不思議です。

 「矢後洋一」。変な名前だと思って62年生きてきましたが、ここまで考察した結果、結論は言わずもがなです。メジャーになる! それしかない。チャンチャン。

 では、また。最後は妄想でした。ペレレイ、ペレレイ。

これぞ3分クッキング!

 惠理先生は料理が手早く美味いのですが、やはりプロはさすがだと脱帽いたしました。

 野毛にある横浜にぎわい座で知人が出演する舞台公演を観に行きました。開演前、斜め向かいにある中華料理店に入りました。カウンターだけの店。大将がひとりで切り盛りしています。

 先生は知人が良く食べていた「きのこラーメン」をオーダーしました。二人で餃子一皿。僕はマーボー麺とライスです。62歳で食いすぎってか(苦笑)

 客は僕たちだけ。カウンターの中が厨房で丸見えです。野菜はすでに切ってありましたが、それでも先の注文の品二人分が6分で完了しました。一人分わずか3分。なんという早業でしょうか。しかも美味しかったのは言うまでもありません。

 僕は一品作るのに1時間弱かかります。2品であれば2時間弱。作り終えれば、お疲れ様です。プロとの違いよ。恐るべし。

 しかし、僕にも早いことが、ひとつありました。文章を書くスピードです。現役時代、どんなに締め切りがタイトでも問題はありませんでした。デスク孝行ですね。(じゃあ内容はどうかって? フフフ)

 先生は料理だけでなく、何より早いのは決断です。迷っていいことはありません。大事なのは直感ですね。ピンときたら即決です。間違いない。

 そういえば「この顔にピンときたら110番」という警察の貼り紙があります。指名手配犯の顔入りポスターです。昔、僕はよくみんなに「110番」と言われてからかわれていました。そんなに強面じゃなかったと思うんだけどなあ。写真映りが悪かった…。ことに目つき…。トホホ(古っ)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

AではじまりCでおわる

 AではじまりCでおわる素材の会社はAGC♪ 最近やたらとテレビで流れるCMをご存じですか。つい最近までは、高橋一生が欽ちゃん歩きをしていました。今は広瀬すずです。

 変なCMだな、と思いながら観ていました。素材の会社ってなんだと疑問符付きで。

 ところが、原村の新居の窓ガラスにベタベタと「AGC」のシールが貼ってあるではないですか。現場監督の浅川さん(浅利陽介を爽やかなイケメンにした感じ)に尋ねると「そうです。ガラスを作っている会社です」とのこと。

 1100メートルの高地にあり、割れないようにと(気圧の関係?)三重の特殊強化ガラスになっているそうです。「矢後様邸特別仕様」とセキスイハイムの営業マン増田さん(元高校球児で入社2年目のやり手)も言っておりました。

 訳の分からないAGCが突然、身近になりました。セキスイハイムだって、阿部寛の「あったかハイム」のCMは観ていましたが、遠い存在でした。それが今や我が家ですから、ご縁は異なもの不思議なものです。

 もちろん人との縁もそう。歌手の日野美歌さんとご一緒に食事をする関係になるなどまるで想像していませんでしたから。遠くの存在が急に身近になる。そういうことはあります。

 こんなときに感じるのが、感謝の気持ち。人にも会社にもご縁に、すべてに「感謝、感謝」です。

 惠理先生も朝から、かつて関係のあった人と久しぶりに、原村関係でつながり「繋がる、繋がる! 」と興奮しています。

 毎日がシンクロの連続です。もう不思議ではありません。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

みどりの窓口あるある

 「みどりの窓口」(以下窓口)さんとは、どうも相性が悪いようです。

 新築の内装がだいぶできたので内覧会があり、長野原村に行って来ました。関内駅で、特急あずさの切符を買うため、窓口へ。一人、先客がいました。これが、うんざりするほど時間がかかっている。ややこしいチケットなのか、はたまた係の女性の要領が悪いのか。

 さらに追い打ちが。朝から酔っ払い風情のジジイが切符を持って、僕たちの前へ。「並んでるの? 」「見りゃ分かるだろうがぁ(心の声)」。たぶん買い間違いか何かでしょう。すると先生が「時間がかからないならお先にどうぞ」って。「えーっ(心の叫び)」。先生、優しすぎる。すると、やはり、ジジイは窓口で管を巻いています。オーマイガー。

 原村からの帰り。空いているはずの茅野駅の窓口でも先客が…。これまた時間がかかっている。なぜだ! いつもこれだ。必ず僕の前は時間がかかる。

 前にも同じようなことは書きましたが、またしても惠理先生から「zizi(対外的な呼称、ふだんは違う呼び方ですが)が短気だからだよ」と。

 引き寄せの法則? 窓口だけではありません。レジも同じです。ということは偶然ではない? 僕が呼んでいる? 性根を叩き直そうと…。

 わかりました。気を長くします。前にも書いたけど…。まだまだだったのですね。ちなみに新宿経由で帰りましたが、湘南新宿ライナーがどこかの駅での安全確認のため20分遅れ!

 「イライラしない! 私は何とも思わない」(惠理先生)

 さすがです。人間ができている。僕はまだまだ未熟です。62歳の未熟者とは…トホホですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。