ボク的スピリチュアルライフ

異世界が気になるし

 4月24日、学習院大学の中条省平教授が県立神奈川近代文学館で行った記念講演会「私の好きな『新青年』の作家たち―乱歩、久作、十蘭」を聞きに行きました。久しぶりに文化の空気を吸いました。とても面白かったです。

 入場料は、たったの1000円。徒歩圏内で気軽にハイレベルな講演を聞くことができる。なんとも贅沢な環境だと思います。

 不思議な導きでした。僕は中条さんが取り上げた3人の作家を読んだことがなかったんです。講演に行くことが決まってから急きょ、久生十蘭短篇選だけ買って読み始めたばかり。

 郵便ポストに入る「かながわ県のたより」紙を眺めていた時、上記の後援会の告知が目に飛び込んだのです。なぜか「行きたい」と思いました。

 どちらかといえば鴎外、漱石などリアリズムの文学を好んで読んできました。新青年系の作家による異世界、空想的、幻想的な世界観には馴染みがありませんでした。

 ところが、行きたいと思ったのです。中条さんが講演の中で「こんなこと言ったらよくないですけど、鷗外や漱石より、乱歩、久作、十蘭の方が凄いと思います」というようなことをサラリと言った時にドキッとしました。僕の心の内を読んだんかい! てなもんです。しかも何故か僕の方を見ながらしゃべっているような気がしたのです。何とも非リアル世界じゃないですか。

 たしかに日常より、非日常の世界を想像、創造する力の方が遥かに難しいように思います。文学青年にすれば、純文学が一段上だと考えるでしょうし、現に昔の僕はそうでした。直木賞より芥川賞。でも今は非リアリズムに惹かれます。

 そういう点で、原村に導かれたのも偶然ではないような気がしてきます。横浜が現実的な世界とすれば、原村は異世界的な幻想空間のようにも思えるからです。そこで何か面白い発想が湧いてくるのではないか。

 なーんて思っちゃったりする今日この頃です。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

シンクロの極致だな

 

糖尿病と闘病中のマリン

 愛猫マリンが昨年6月、糖尿病になり苦闘しています。かかりつけの病院が高額なのです。必要以上の検査をしているとしか思えず、2カ月連続で3万円かかったときには不安になりました。ペットを飼っている人間は盲目的な愛情を持っていて、金も持っているから、巻き上げても問題はないというような姿勢に映ってしまいます。

 ある朝、近所に住む担当医と出くわしました。最近は必要最低限の検査を求めて以来、態度が豹変していたのですが、やはりぎごちない素っ気ない態度にガッカリしました。

 転院しよう。そう決意を固めネットで検索。浮上した候補が徒歩圏のK動物病院でした。

 その日。知人Mさんに誘われMさんの友人Sさん宅で惠理先生とご馳走になりました。すると驚いたことにSさんが飼っている14歳の猫が糖尿病ということなのです。通院している病院を尋ねると、そうです。「K動物病院」だったのです。しかも注射を含めすべてが半額レベル。

 「必要以上の検査はしないから、安心ですよ」とのこと。なんということでしょう。転院を決意した朝の午後に、この情報ですよ。驚きました。そして気持ちが楽になりました。

 最近は、神様に案内されているように感じるシンクロナイズが増えています。ちょっとした「奇跡」の連続を体験しています。誰にだか分かりませんが、ありがとうございます。感謝。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

味噌の力が半端ない

 「半端ない」シリーズのパート2です。味噌が体にとてもよろしいようです。中でも味噌汁。元気な時に飲んでも分かりませんが、調子の悪い時には効果が感じられます。

 二日酔いの時など、惠理先生は「味噌汁を飲むといい」と言います。「ほんまかいな」と、騙されたと思って飲んだと思いねえ。これが確かにスッキリするんです。

 元気な時に「ユンケル黄帝液」を飲んでも分からない。ところが漫画家などが徹夜するとき、3000円!の高級液? を飲むと活力モリモリだそうです。ほんまかいな。ユンケルと味噌汁を比べてどうする。

 惠理先生は毎年、味噌を手作りしています。「有機栽培玄米」「有機栽培麦」「自然栽培白米」「自然栽培玄米」など種類は豊富です。しかもペレレイのエネルギー入り! それでどう違うんだよって言いますか? じゃあモーツアルトを聴かせる胎教はどうなのよ。それは命だから違うでしょって? 味噌も命なんです。何しろ発酵しますからね。

 この惠理先生がペレレイの生命を吹き込んだエネルギー入り味噌のパワーが半端ありません。お世話になっている人に差し上げておりますが、「元気になる」と評判はよろしいようです。「まずかった」なんて言うわけないけどね。

 いずれにしても野菜など具だくさんの味噌汁は美味いだけでなく、体にもいいと感じます。日本人ならではの活力源ですよね。さあ今日も味噌汁を飲んで1日を楽しむぞ。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ(ペレレイも元気に発酵中です!)

念力の引き寄せが半端ない

 最近、願い事が叶うスピードが早まっています。僕の力のわけがありません。ほぼ惠理先生の念力パワーによるところだと思います。

 新車を買ってマンションの立体駐車場を借りました。1区画3台並列の3層です。狭い上に両サイドは壁、柱があって難しい。帰宅して、惠理先生が駐車をしているところに、お隣のベンツの方でしたが、出庫のため待ちながら様子を見ています。惠理先生は慣れていない上に明らかに動揺して焦っています。

 僕は「この駐車場は初めてで慣れていないもんで」と言い訳をしました。すると、やや強面の男性は「端は難しいです。真ん中が空いていますよ。地下ですが。真ん中は簡単ですから、替えてもらったらいいですよ」と情報を提供してくれました。

 ただ地下は惠理先生が嫌っているのです。そんな話を管理人にしたところ、なんと「2階の真ん中が4月1日から空きます。替えましょうか」と言うではありませんか。なんと、そんなことがあるのでしょうか。願ったり叶ったりとは、このことでした。

 さらに。我が家に招待したいビッグな方がいるのですが、招くためには片付けておかなければいけません。突然では無理なことです。ところが…。外出先だったのですがビッグな方が我がマンションの隣の焼肉屋に来ているとの連絡があり「この後どこかで合流しますか」と誘われた時です。その日はたまたま家中を掃除、整頓していたのです。びっくりのタイミング。お陰様で、我が家に招待してお酒を酌み交わすこととなりました。

 実に他愛のないことばかりですが、最近はこんなことの連続です。惠理先生は「シンクロが凄い」と言っています。シンクロニシティ。ニャーるほど。素晴らし過ぎます。

 シンクロ万歳。次は何が叶うかな。楽しみです。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ(もちろん、ペレレイの力に負うこと大なのは言わずもがなです)

みどりの窓口あるある

 「みどりの窓口」(以下窓口)さんとは、どうも相性が悪いようです。

 新築の内装がだいぶできたので内覧会があり、長野原村に行って来ました。関内駅で、特急あずさの切符を買うため、窓口へ。一人、先客がいました。これが、うんざりするほど時間がかかっている。ややこしいチケットなのか、はたまた係の女性の要領が悪いのか。

 さらに追い打ちが。朝から酔っ払い風情のジジイが切符を持って、僕たちの前へ。「並んでるの? 」「見りゃ分かるだろうがぁ(心の声)」。たぶん買い間違いか何かでしょう。すると先生が「時間がかからないならお先にどうぞ」って。「えーっ(心の叫び)」。先生、優しすぎる。すると、やはり、ジジイは窓口で管を巻いています。オーマイガー。

 原村からの帰り。空いているはずの茅野駅の窓口でも先客が…。これまた時間がかかっている。なぜだ! いつもこれだ。必ず僕の前は時間がかかる。

 前にも同じようなことは書きましたが、またしても惠理先生から「zizi(対外的な呼称、ふだんは違う呼び方ですが)が短気だからだよ」と。

 引き寄せの法則? 窓口だけではありません。レジも同じです。ということは偶然ではない? 僕が呼んでいる? 性根を叩き直そうと…。

 わかりました。気を長くします。前にも書いたけど…。まだまだだったのですね。ちなみに新宿経由で帰りましたが、湘南新宿ライナーがどこかの駅での安全確認のため20分遅れ!

 「イライラしない! 私は何とも思わない」(惠理先生)

 さすがです。人間ができている。僕はまだまだ未熟です。62歳の未熟者とは…トホホですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

釘付けとは…

 「釘付け」という表現で思い出すのは、大学生の頃のこと。東京駅八重洲口にあったブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)で藤島武二の「黒扇」という名画を見た時のことです。

 文字通り「釘付け」になったのです。その絵の前で動くことができず、しばらく呆然と食い入るように見つめ続けていました。今見ても、たぶん、それほどの感銘は受けないと思います。40数年前の感性豊かだった青年には、衝撃的な美人画でした。

 つまり、「釘付け」という言葉に悪い印象はありませんでした。どちらかと言えば、先の例のようなプラス方向の意味合いを考えていました。

 ところが、遠藤周作の「イエスの生涯」を読んでいて、キリストの磔刑の場面の描写で愕然としました。十字架のはりつけです。203ページ以降から抜粋します。「(前略、イエスは)腕を開いて自らの運んできた十字架の横木の上に仰むけになり、手をその十字架に釘うたれた。この釘づけがすんだあとロープで吊りあげられる。そして最後に足に二本の釘を打ちこまれる(後略)」

 なんと、釘で足と手を固定されたのです。ロープではなく。イエスは意識を麻痺させるための葡萄酒も拒絶し、息をひきとったのが3時間後といいます。3時間の苦痛とはいかばかりだったことか。ここを読んで空恐ろしくなりました。言語に絶しますね。

 広辞苑に、死刑を意味する説明はありません。①物を固着させる②物事を動かないようにする、動きのとれないようにする、などとあります。死刑につながる表現ではありません。それでも、キリストの最期を思うと、ちょっと気持ち悪いですね、恐ろしいですよね。

 処刑に楽なものなどないでしょうが、人を殺すとはなんと残酷なことでしょう。それが罪のない人であればなおさらのこと、です。僕はキリスト教徒ではありませんが、なぜか最近、イエスのことも気になっております。何でだろう。不思議です。

 いつの日か、分かるのかな。分からなくてもいいけど。ま、気長に行こうっと。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

それを作れば、何かがやってくる

 惠理先生のブログ『レムリア時代の約束 合図は「ペレレイ」‼』の中にある文章を読んで思い出すことがありました。

 「長野県原村のあの土地で皆が輪になって天に向かい、このレインボーのペレレイのエネルギーを上げていると… 古代の神様が降りてこられる!!!」

 このフレーズ感、何か似ているような…。

 そうです。1990年に公開されたケビン・コスナー主演の名作「フィールド・オブ・ドリームス」です。31年も前の映画ですから、知っている人はかなり年配かな。

 コスナー演じるレイ・キンセラはアイオワ州で営むトウモロコシ畑にいると「それを作れば、彼は来る」という天の声を聴きます。それが八百長事件で追放された名選手ジョー・ジャクソンのことだと考え、妻の理解を得て畑の大部分を潰して野球場を作ってしまいます。

 全部書くと何なので…。で、まあ他にもやってくるわけです。そして最後に仲たがいをしたまま死別した父が現れます。ヤンキースで大成しなかった若き日の姿です。レイ・キンセラは家出をしたままで、後悔もあったわけです。

 ラストシーン。若き日の姿の父は、外野後方のトウモロコシ畑(そこが冥界)に戻ろうとするのですが、コスナーは「父さん、キャッチボールをしよう」と引き留めます。そして生前果たせなかった親子のキャッチボールが実現。画面は徐々に上空からの映像になっていき、遠景で二人の姿を映し続ける。その後方には「フィールド・オブ・ドリームス」を見に集う、果てしない車の列がはるかかなたの地平線まで続いている…。

 そうです。原村に家を建てれば、何かが生まれる、やってくる、のです。

 もうひとつ思い出し、身震いしました。我が家の隣が、トウモロコシ畑なんです!

 もう決まりですね。原村で何かが始まります。で、惠理先生と「フィールド・オブ・ドリームス」を鑑賞しました。僕は何回観ただろうか。惠理先生はラストシーンで泣いていました。僕は、最初からずっと泣いていました(笑)

 ペレレイが何かを起こします! では、また。ペレレイ、ペレレイ。

ああ、根岸線よぉ…

 人との相性ってありますよね。電車ともあるのかな?

 僕は根岸線とどうもタイミングが合わないのです。京浜東北線の一部、横浜~大船間の通称が根岸線ですね。惠理先生のカウンセリングルーム「フェアリィ」の最寄り駅が関内もしくは石川町。横浜からは桜木町、関内、石川町と続きます。

 横浜から帰る時、不思議と桜木町止まりが必ず来るのです。大げさに言うと2本に1本が桜木町までしか行きません。大船行き、磯子行きの合間に必ず桜木町終点がやってくる。

 僕はそのたびカリカリ、イライラします。すると惠理先生は「怒らない、怒らない。気が悪くなるよ」と言います。僕は短気で信号待ちも嫌いなので、すぐ切れてしまう。よくないと思います。反省です。

 関内から乗るとき、次の電車まで間があることが多い。こういう時は貨物列車が通過するのです。根岸駅から根岸線内を走り、桜木町の先で別れて新鶴見に向かいます。この概ね石油を積み降ろしする貨物が、僕が関内駅ホームに上がると、ほぼ毎回のように走ってきます。

 こちらはイラッとしながらも笑ってしまいます。「またかい」と突っ込みながら。あまりに毎回のように遭遇するので、惠理先生も半ば呆れながら「何かのメッセージかな」と考えています。そして「分かった」と膝を打ちました(打つわけないか)「ZiZiが短気だから、桜木町止まりや貨物が来るんじゃないの? 短気が治ったら来なくなるよ」

「うーん、ニャーるほど」。参ったなぁ。じゃあ長気になるか。※長気なんて言葉はありませんが。

 そういう妙な縁というかタイミングってありませんか。たぶん惠理先生が言うように、何かのメッセージなのかもしれません。僕が鈍感なので、気づくまで続くのかもしれません。

 宇宙からの有難いメッセージなのに受け取れていないのだとしたら、どうしよう。根木線様、どいういう意味ですか。教えてチョンマゲ(古っ)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

ロックオーン♪ロックオーン♪

「突然ですが占ってもいいですか?」という番組で、星ひとみが良く当たるとか、ゲッターズ飯田は凄いとか、女性は占いが好きですよね。

「突然ですが…」の中で占われている人が、当たっていると認めた時に流れる「ロックオーン、ロックオーン」も印象的で人気になっているようです。

 理屈が先に立ちやすい男は、占いなどまったく信じません。しかし戦国時代の軍配者は「孫子」で兵法を学ぶとともに、「易経」で占いも学んでいた。日本独自で発展したのは陰陽道、観天望気のようです。今でいう天気予報をしたり、亀の甲羅のヒビなどを見て出陣の日取りや攻める方位などを決める。そして戦場では戦術、戦略を立てていく。大真面目に占っていたわけです。ただし占いが得意な人と作戦立案に優れている人がいて、どちらもできる人は稀有な存在。それは今も同じですよね。

 僕は酔っぱらうと、つい占いをしてもらう癖が昔からありまして。今でも忘れられないのが、若い頃に大阪で占ってもらった時の事。普通は良いことしか言わないと思っていたところ、「あなたは50歳までとてもいいが、それ以降はよくない」とバッサリ切り捨てられたのです。考えようによっては50までよければ十分かもしれませんけどね。

 振り返りますと、55歳を過ぎてから人生が大転換して、とてつもなく良くなっているのです。笑えます。

 惠理先生は超ポジティブですよ。いいことを言われると「当たっているね」と占い師を褒め称え、悪いことを言われると「ぜんぜん当たっていない」とケロッと否定します。さすがです。これもアリですね。

 戦国時代は生きる死ぬだったから占いも真剣、責任重大ですが、今は真に受けずに楽しむ遊び心が大切でしょう。ただ僕は、だいたいにおいて手相も誕生日も姓名もおしなべて、違う人に同じことを指摘されることが多い。「易経」がひとつの学問だったように、データもあるのかな、ということでしょう。

 何が同じか、って? そりゃ、とてもいいことです(笑) さらに運勢が良くなるために、超ポジティブな惠理先生のヒーリングを受けてくださいな。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

久し振りにスピライフです

 霊性を感じるささやかなできごとがありました。自転車を一時預けようと伊勢佐木モール入り口付近、根岸線のガード下にある駐輪場に出向いたところ、「満車」となっていました。見渡すと確かにぎっしり寸分の隙もなく自転車とバイクが止まっています。

 惠理先生と「ダメだね」と諦めたところ、入り口に佇む僕たちの脇を女性が入って行きました。これは、もしや、です。すると事務所にチケットを出し、自転車を引き揚げていくではありませんか。先生と顔を見合わせました。

 もちろん、彼女が空けたスペースに無事駐車できました。小さな幸運です。昔ならお天道様に感謝ですね。宇宙の配慮を感じました。見てくれている、みたいな厳かな感覚です。少し大げさですが。でも「ただの偶然だろ」で片付けては楽しくありません。

 その前に気落ちすることがあったのです。愛猫マリンに朝食を与えようと思って皿を見ると、前夜の食事を大量に残していました。減った分を少し足して食べさせようとしても逃げてしまいます。、糖尿病のインシュリン注射は空腹では打てないので、無理やり乾燥フード4粒を飲み込ませてから注射を済ませ病院に行きました。

 1時間半後、検査結果を見たら血糖値が高い。半日預けて血糖値の推移、エコーなどを受けることになりました。心配で二人とも黙りがちだったところ、先の神様からの贈り物があったわけです。

 それだけのことですが、嬉しかったですね。最近、惠理先生とよく話すのが「守られている」「導かれている」という思いです。新聞記者時代は、裏取りを慎重にした上で記事化していた現実的な僕としては、変われば変わるもんです。

 スピリチュアルといえば、実に怪しげな商売をしている方が最近とても多いように思います。もしかしてコロナ騒動が、淘汰を促しているのかなという思いにもなります。本物だけが残る時代です。これから世の中はどうなっていくのか。不安にならず、楽しみに生きていきたいですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。