朝の散歩で仲良くなった知人の息子さんである早瀬憲太郎さんが監督・脚本を務めた映画『咲む』(えむ)を、横浜の南区役所公会堂で惠理先生と観ました。僕が観てきた映画の中で、上位に入る感動をいただきました。

 製作は一般財団法人全日本ろうあ連盟で、創立70周年を記念して作られました。監督さんが舞台あいさつで「ろうあ連盟が制作したと言うと、障害がテーマと思われてしまうのが残念。エンターテインメントの人間ドラマです」と話していました。監督自身が、ろうあ者です。

 縦糸、横糸がどっちか分かりませんが、主人公の女性、両親、妹、家族全員がろうあ者です。主人公の父と祖母との分断が、孫である自分にも暗い影を落としていて、どうなっていくのかなあという人間ドラマ、家族の物語であることは確かです。こっちが縦かな。で、車いすの女性や耳だけでなく目も不自由な老人男性を始めとした高齢者、つまり健常でない人々が織りなすドラマがたぶん横糸であることも確かだと思います。

 最後は水戸黄門的にスッキリ着地するのが定型と言ってしまえば身もふたもなく、でも期待通りに大団円を迎えてくれなきゃモヤモヤしてしまいます。やっぱり日本人に生まれたからには黄門的決着は是非ものです。

 最初のうち主人公は周りの人に「手話」や「筆記」を求める場面が多く、それって甘えじゃないのかと考えてしまったり、つまりなんで読唇術を体得しないのか、発声器官に問題がないのであればなぜ訓練をしてこなかったのか、など余計な疑問が邪魔をしてしまったのですが、途中からは文句なしで泣きながら最後まで観ました。

 やはり、ろうあ者は就職が難しい。結局、父親が生まれた故郷に行って、祖母と暮らすようになる。始めのうちは、村の人々の理解も得られなかったが、持ち前の明るさ、頑張りで村を元気にしていく。こうザックリ書いてしまえば、またしても型通りの展開になってしまうのだけれど、それでも泣かせます。

 監督の思いとは違うでしょうが、やはり生きずらい障害者が道を切り開いていくさまは感動的なんです。車いすの女性が主人公に向かって「なんで障害を乗り越えたの?」と聞くと、「乗り越えていない。ただ真っすぐ前に歩ているだけ」と答えます。

 健常者が偉そうに言うのと違って、やっぱり説得力があると思うのです。理屈抜きで、その姿はたくましく、素晴らしく見えます。

 全国ロードショーではありません。各地の主催団体による上映会です。地味な興行ですが、丘みつ子、島かおり、赤塚真人、宮下順子、次長課長の河本準一など錚々たるキャスト陣にも驚きます。

 一人でも多くの人に見てもらいたいです。大きな事務所が大きな力と資本でメディアを牛耳っている世の中ですが、本当に佳い作品をコツコツと創り出している人々もいます。『咲む』も制作に4年かかっていると知って驚きました。こうした作品はなかなか日の目を見ません。メジャーでないので、人々の耳目に触れる機会がないからです。応援したいですね。エールを送りたいです。

 良いものが、良い人が、普通に世の中で認められるようになれば嬉しいです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。