記憶

「読む」ということについて

 書くことは好きですが、読むことがさらに好きです。ただし量は多くない。速読ができず、遅読だからです。読みたい本がいっぱいあり、渋滞していますから、もっと速く読みたいのですが、これがなかなかできない。

 皆さんは黙読ですよね。活字を目で追って読むやつ。僕の場合は音読に近い黙読なんです。声に出していないけど、頭の中で一文字づつ丁寧に音読しているのです。子供の頃からずっとやってきたので、いまさら速く読むことができない。

 じゃあ内容をしっかり記憶しているかというと、しばらくすると忘れてしまう。よほど衝撃的な内容でない限り、いともたやすく記憶から消えていく。

 どうせ忘れるなら斜め読みでもいいじゃないか。とはならないのです。それだと読んでも頭に入らない。つまり頭が悪いんです。いちおう読んでいる時は理解したい。味わいたい。その挙句、忘却のかなたに行ってしまうものは諦めるしかない。

 どうせウン〇になって出てしまうんだから、食うことないじゃん、とはならないですよね。いちおう栄養を吸収しないと(喩えが違うか!)

 だから書評家とか尊敬してしまいます。もの凄い読書量。しかも隅々まで覚えている。たぶんメモはしているんでしょうが。仕事だから当たり前か。

 僕はいつでもどこでも隙あらば読んでいたい方です。朝の散歩帰り、日本大通りにある「gooz」で本を読む時が至福です。春は新緑、秋は紅葉を愛でながら。今は裸木ですけど、それはまたそれなりに。

 半身浴でゆっくりと湯に浸かりながら読むのも好きです。整体の先生からは「お風呂で温まりながら体を動かすと効果的」と言われていますが、読む行為とは両立できない! 残念。

 寝る前のベッドの中で、眠気と戦いながら読むのも悪くない。スタバなどでコーヒー飲みながら読むのも大好きだ。電車の中もいい。机に座って読む習慣はないんです。せいぜいリビングのソファに座って。いつでもどこでも読みます。

 読んだ内容が血となり肉となれば最高なんですけど。読書量も多くないし、役立たずの読書ですが、読みたいものを読みたい時に読みたい場所で読む。ただそれだけです。

 ではまた。ペレレイ、ペレレイ。