紅葉

桜だ、新緑だ

 もう春ですね。3月17日、横浜に桜の開花宣言が出ました。大さん橋の入り口近くにある横浜キリスト教会横浜海岸教会の脇に咲くソメイヨシノは毎年なぜか超速で開花します。すでに5分咲き程度。こうまで他と足並みが違うのもどうかと思いますが…。

 横浜公園の神代曙も咲き始めました。ソメイヨシノよりほんのり色濃い品種です。神代植物公園に原木があるそうです。これも毎年早めに花開きます。

 さらに早いのが寒桜ですね。こちらは早咲きの品種、なにしろ「寒」ですから当たり前。ところが満開は分かりますが、その隣に五分咲きあり、なぜかまだ蕾あり。隣同士で開花速度が全く違うのも不思議です。いずれにしろ春到来です。

 そして新緑。今日18日、芽吹いていることに惠理先生が気づきました。海岸通りの横浜開港資料館前です。

 この樹の葉の形が♡なんです。この写真にも写っているんですが、分かりますかね。分かんねえだろうなあ。これからどんどん目に鮮やかになっていきます。

 16日に書いた「花鳥風月の花と鳥ですよ」といい、僕らしくないテーマですね。風流とは縁遠い人なので。つまり惠理先生の影響です。散歩をしている時、ボンヤリしている僕に、いろいろ解説をしてくれています。

 前は季節に鈍感でしたが、最近は多少は意識をするようになってきました。そうなると意外と愛おしいですね。年齢的なこともあるのかもしれません。桜の良さを感じるようになったのも人生の半ばを過ぎた50歳ぐらいからですから。

 しかし、ついこの間、日本大通りで紅葉を愛でていたように思うのですがね。光陰矢の如し。時の流れが早い! 時の流れには逆らわず、身を任せつつも、季節の移ろいを楽しんで行きたいと思います。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

「読む」ということについて

 書くことは好きですが、読むことがさらに好きです。ただし量は多くない。速読ができず、遅読だからです。読みたい本がいっぱいあり、渋滞していますから、もっと速く読みたいのですが、これがなかなかできない。

 皆さんは黙読ですよね。活字を目で追って読むやつ。僕の場合は音読に近い黙読なんです。声に出していないけど、頭の中で一文字づつ丁寧に音読しているのです。子供の頃からずっとやってきたので、いまさら速く読むことができない。

 じゃあ内容をしっかり記憶しているかというと、しばらくすると忘れてしまう。よほど衝撃的な内容でない限り、いともたやすく記憶から消えていく。

 どうせ忘れるなら斜め読みでもいいじゃないか。とはならないのです。それだと読んでも頭に入らない。つまり頭が悪いんです。いちおう読んでいる時は理解したい。味わいたい。その挙句、忘却のかなたに行ってしまうものは諦めるしかない。

 どうせウン〇になって出てしまうんだから、食うことないじゃん、とはならないですよね。いちおう栄養を吸収しないと(喩えが違うか!)

 だから書評家とか尊敬してしまいます。もの凄い読書量。しかも隅々まで覚えている。たぶんメモはしているんでしょうが。仕事だから当たり前か。

 僕はいつでもどこでも隙あらば読んでいたい方です。朝の散歩帰り、日本大通りにある「gooz」で本を読む時が至福です。春は新緑、秋は紅葉を愛でながら。今は裸木ですけど、それはまたそれなりに。

 半身浴でゆっくりと湯に浸かりながら読むのも好きです。整体の先生からは「お風呂で温まりながら体を動かすと効果的」と言われていますが、読む行為とは両立できない! 残念。

 寝る前のベッドの中で、眠気と戦いながら読むのも悪くない。スタバなどでコーヒー飲みながら読むのも大好きだ。電車の中もいい。机に座って読む習慣はないんです。せいぜいリビングのソファに座って。いつでもどこでも読みます。

 読んだ内容が血となり肉となれば最高なんですけど。読書量も多くないし、役立たずの読書ですが、読みたいものを読みたい時に読みたい場所で読む。ただそれだけです。

 ではまた。ペレレイ、ペレレイ。