甲斐駒ヶ岳

飲んでも歩いて帰れるし

骨付きラムは絶品ですがな

 山下公園ラジオ体操の会会長に誘われ、山下町にできたハイアットリージェンシーのランチバイキングに行きました。スパークリング、赤白ワインの飲み放題付です。様々な肉、寿司、中華など和洋中を網羅し、デザートも豊富。味も高レベルで至福のひとときでした。

 ホテルを出て分かれると僕たちはブラブラと元町で買い物をして帰りました。これまた贅沢な時間です。出費は別として環境面だけを考えれば、当たり前のことと思っていました。職住接近ならぬ食住接近ですね。

 原村は違います。歩いて20分弱のところに辛うじて飲める蕎麦・うどんの店が1軒あるばかり。他は車がないといけません。アルコールは無理です。タクシーも少ないし呼べば高い。流しなどあるわけもなく、地方によくある運転代行も遠くに1社あるだけ。こちらはさらに割高で、飲み代が倍になりかねません。

 そうまでして外で飲めますか。金が湯水のように使えるならともかく、当たり前に無理です。2週間の滞在で外飲みは、1度もありませんでした。毎日、惠理先生が驚愕的美味の料理を作ってくれ、八ヶ岳と甲斐駒ヶ岳という名山に囲まれた中での夕食は、プライスレスの贅沢です。

 つまり、どっちもかけがえのない素晴らしさを持っているということになります。どっちも交代で楽しめるなんて、幸せ以外の何物でもありません。感謝の気持ちがよりいっそう強くなりました。

 便利も良し、不便もまた良し。いろいろなことが還暦を過ぎて分かってきたこの頃です。それでは、また。ペレレイ、ペレレイ。

デッキの舞台でラジオ体操

陽が上る八ヶ岳をバックにラジオ体操

 デッキがまるで舞台のようです。東に陽が昇る八ヶ岳、南に甲斐駒ヶ岳。名山に囲まれて体を動かす朝のラジオ体操の何と気持ちのいいことでしょうか。

 山下公園で海を前にベイブリッジ、大さん橋ふ頭に囲まれているのも幸せですが、それぞれに良さがあります。甲乙つけがたし。海と山。南岸の温暖な気候と高原の冷涼さ。都会と田舎。すべてが対照的です。両方を満喫できることはプライスレスの贅沢です。

 デッキの前には手作りの畑が広がっています。その中にはカエルが遊びに来たり、小鳥が羽を休めに来たり。

 しかし、鹿です。横断している足跡を発見。今後、農作物ができてきたら、対策が必要です。と、思っていたら隣のトウモロコシ畑に所有者、M青年がたまたまチェックにやってきました。

「トウモロコシもやられました。ビニールを被せるより、ネットで囲うのがいいですよ」とアドバイスをくれました。

 とはいえ、僕たちにできるのか? 「自力で作るのは難しいでしょう? 」

「いえ、そうでもないですよ」

  調べたら杭もネットも豊富に売っています。では早速やってみましょう。次回の課題です。

 体操から脱線してしまいました。キーンと冷たい空気の中でも、太陽が昇って行くにつれて、日差しが暖かくなっていきます。寒くはありません。動いていれば、なおさらです。

 その後、朝食後のコーヒーもデッキで飲みました。夕方のビール(ビアガーデンならぬビアデッキ)もいいけど、コーヒーもまた格別です。

 デッキライフを楽しみます‼ では、また。ペレレイ、ペレレイ。

甲斐駒ヶ岳を眺めながらラジオ体操

縄文の地を耕す

 惠理先生は写真がうまいなあ。鍬が土を削り掬い上げる瞬間をとらえてくれました。野球で言えばバットがボールを打つインパクトです。スマホですからシャッタースピードは速くありません。大したもんです(元スポーツ新聞社写真部デスク評)

 さて写真技術はさておき、子供の頃から読み書きが好きで、仕事もそっち方向に進んだ僕が、まさか畑の土を鍬で耕すなど半年前までは夢にも思っていませんでした。

 ここ原村は縄文の地。220坪の土地のうち、畑にする部分はおよそ30坪(100㎡)。ここに牛糞堆肥300ℓ、腐葉土200ℓ、燻炭500ℓを蒔き、土地の土と混じり合わせるために鍬を振い続ける。なかなかの重労働です。

 前回のブログで書いた土手の石積よりハードでした。しゃがみ込む姿勢ですから腰に負担がかかる。惠理先生の助けを借りてやり終えた時は、しかし充実感が疲労をはるかに上回っていました。

 そして完成したばかりのデッキから畑を眺めながら飲むビールの美味いこと(いつもうまいけど)。甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳に囲まれ幸せをかみしめます。人生って、勇気を持って決断すれば、素晴らしい展開を引き寄せることが可能であることを実感します。

 素晴らしきかな人生。第2か第3かわかりませんが、これからの生活が楽しみです。というか、楽しむのです。感謝。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

ファストフードとスローライフ

 江戸時代にもファストフードはあったんですね。出口治明さんの『0から学ぶ「日本史」講義 戦国・江戸篇』を読んでいたら、おもしろいことが分かりました。握り寿司のことなんですね。

 1824年に華屋与兵衛が登場し、与兵衛寿司を作ったのが握り寿司の始まりだそうです。それまでは魚を発酵させた熟(な)れ寿司や押し寿司が中心でしたが、獲れたての魚をそのまま切ってご飯ごと握るのでファストフードというわけです。今の和食チェーン店「華屋与兵衛」とは関係ないそうです。

 なーるほど。現代なら、すぐ思い浮かぶのがマックやケンタですよね。しかしながら惠理先生は、遺伝子組み換えの疑いを感じる店は敬遠します。健康を気遣ってのことですが、僕の体のことも心配してくれています。

 もう一つは電子レンジとの決別です。壊れたことを契機に、電磁波のほとんど出ない(と謳っている)スチームオーブンに替えました。電子レンジに使われるマイクロ波も電磁波で、体に良くない上に食材の栄養を壊してしまうそうです(壊れていく様子を目で見たことがないので伝聞推定です)

 このスチームがスローなんです。解凍温めなどは(例えば冷凍保存したご飯)レンジと比べて時間が優に5倍から10倍ほどかかります。だから食事の時間に合わせて、かなり早くから準備を始めます。

 最初の頃は短気な僕としてはイラッとしていましたが、慣れてきました。スローライフです。何しろ原村のことを考えればスローに慣れないといけません。コンビニだって関内は半径500メートルに10軒はありますが、原村は半径2キロぐらいの範囲にないと思います。もっとかなあ…。

 関内では文明に浸かり、原村では縄文を楽しむ。言いすぎか! 失礼。でも精神的にはスローライフ万歳というわけです。外食も控え、というか周辺にあまり店がない。運転代行もないようだから、食は出来ても飲食はできない。車でないと店まで行けないからです。往復タクシーを呼ぶなんざ自殺行為ですよね。

 コロナ禍など無関係に、家食です。家内で二人でクッキングです。暖かくなれば、デッキで八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳を眺めながらキャンプ気分を楽しみます。ファストフードなんて食べたくてもありません。スローライフに徹します。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。(あ、ペレレイの効果は早いか!)