愛猫

地震は猫も怖がる!?

 13日23時8分ごろ、グッスリ眠っているとグラグラ来ました。体を起こすと、チェアの上でやはり起き上がって辺りの様子を窺う愛猫マリンの姿がありました。警戒心を露に「何事が起っているんだ」という気配を漂わせていました。

 またもや福島、宮城沖で起きた震度6強の大地震。10年前の東日本大震災ほどではないと思ったものの、やはり怖かったですね。

 小学生の頃、記憶では震度5クラスの地震が2日続けてありました。親が火の元の確認などで慌てている。外に出た方がいいのか…。とにかく恐怖に包まれました。とても長く感じた。

 怖い体験って、忘れないものですね。トラウマみたいなものでしょうか。精神的に圧力を受けたわけではないけど、肉体的に生命のピンチを感じました。

 恐怖は人を無力化するのかな。「恐怖政治」がそうです。大衆を檻に閉じ込め、恐怖で覆ってしまう。外に逃げ出せない、何もできない、抵抗できない。そして権力者が思いのままに人々を操っていく。

 コロナも同じ匂いがします。キーワードは恐怖。その裏側で何が進行しているのか。いつまで続くのか。事実は分かるのか。地震、雷、火事、コロナ。時代が変わると、恐れの対象も変わります。

 せめて自分は平常心で生きて行くことを心がけて行きたいものです。

では、また。ペレレイ、ペレレイ。

久し振りにスピライフです

 霊性を感じるささやかなできごとがありました。自転車を一時預けようと伊勢佐木モール入り口付近、根岸線のガード下にある駐輪場に出向いたところ、「満車」となっていました。見渡すと確かにぎっしり寸分の隙もなく自転車とバイクが止まっています。

 惠理先生と「ダメだね」と諦めたところ、入り口に佇む僕たちの脇を女性が入って行きました。これは、もしや、です。すると事務所にチケットを出し、自転車を引き揚げていくではありませんか。先生と顔を見合わせました。

 もちろん、彼女が空けたスペースに無事駐車できました。小さな幸運です。昔ならお天道様に感謝ですね。宇宙の配慮を感じました。見てくれている、みたいな厳かな感覚です。少し大げさですが。でも「ただの偶然だろ」で片付けては楽しくありません。

 その前に気落ちすることがあったのです。愛猫マリンに朝食を与えようと思って皿を見ると、前夜の食事を大量に残していました。減った分を少し足して食べさせようとしても逃げてしまいます。、糖尿病のインシュリン注射は空腹では打てないので、無理やり乾燥フード4粒を飲み込ませてから注射を済ませ病院に行きました。

 1時間半後、検査結果を見たら血糖値が高い。半日預けて血糖値の推移、エコーなどを受けることになりました。心配で二人とも黙りがちだったところ、先の神様からの贈り物があったわけです。

 それだけのことですが、嬉しかったですね。最近、惠理先生とよく話すのが「守られている」「導かれている」という思いです。新聞記者時代は、裏取りを慎重にした上で記事化していた現実的な僕としては、変われば変わるもんです。

 スピリチュアルといえば、実に怪しげな商売をしている方が最近とても多いように思います。もしかしてコロナ騒動が、淘汰を促しているのかなという思いにもなります。本物だけが残る時代です。これから世の中はどうなっていくのか。不安にならず、楽しみに生きていきたいですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。