徳川家康

僕にも取柄が、あるぅ~

  「影武者 徳川家康」(覚えておいでか、マンションのクリーンステーションから拾ってきた古本)を読んでいて、うれしい文章に出会いました。

「替玉にせよ徳川家の頂上にある身が、一介の忍びに頭を下げるとは、出来ることではない。要するに素直なのだが、六十まで素直なままでいられる男は数少ない。ある意味で非凡な男と云えた。」

 なんと、僕は62歳です。長所、美徳などがほぼない僕とはいえ、子供の頃からひとつだけ褒められ認められたところがあります。それが「洋ちゃんは素直だね」ということなんです。ただ、その一点だけで、なんとか生きてこられたようなものです。

 以来、上記の傾向に一切の変化はありません。裏を返せば成長をしていない。ただし「素直」だけは残っているように思います。今でも言われますから。

 ということは「影武者 徳川家康」の文章が僕ですか? え、非凡ですか! まあ、それはないとしても、嬉しいじゃありませんか。やっと少し誇れるものを見っけました。

 本を読んでいて感動するのは、自分で思っていてもうまく表現できずにもやもやしていたことが、明確に文章として読んで腑に落ちるから、ということを少年時代に読んだか聞いたことがあります。「そうだよ、そうだよ。僕もそう思っていたんだよ」と手を叩きたくなる感じ。それが読書のいいところです。

 自分にもいいところがあるんだ、と思えて、少しは自信もつく。とてもいいことです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

逆・断捨離です!

 断捨離を勧める人が多いですね。無駄なものは捨てる。縛られない。物にしろ、考え方にしろ、いいことだと思います。

 ところが、最近の事。僕は捨てるのではなく、拾ってしまったのです。マンションのクリーンステーション、つまりゴミ置き場ですが、そこに古本が置いてありました。本が大好きな僕としては無視できません。どんな本か気になります。見ると、富樫倫太郎の「早雲の軍配師」「信玄の軍配師」「謙信の軍配師」です。読んだことのない作家だし、僕はあまり歴史ものは読みません。せいぜい司馬遼太郎をほんの少していど。ただ、なぜか信玄のことが気になっていたのです。甲府支局に2年いたこともあります。今度、第2の拠点となる長野県原村は諏訪郡で、信玄がかつて支配した地域でもあります。

 信玄だけ読んでみようかと1冊抜いて持ち帰りました。しかし、ほかの2冊も気になり戻って回収しました。出版の順番は早雲、信玄、謙信ですが、僕は気になる信玄から読み、謙信から早雲に戻り3冊とも読んでしまいました。文庫本では上下巻ですから全6巻のボリューム。それをあっという間にむさぼり読んでしまったのです。

 そもそもゴミ置き場から持ち帰ることも異例中の特例なら、すべて読み切ってしまうとは恐れ入りました。もちろん得をした気持ちになりました。

 この流れなら次は秀吉か、家康ですか? すると早雲を読み終えた翌日、ゴミ置き場に行くと隆慶一郎の「影武者家康」が捨てられていました! 以前読んだことのある本で、好きな作家ですが、再読したくなりました。文庫本なら3巻のボリュームです。

 不思議なんです、最近。意識したことが現実化する。先だっては漬物石が足りないと考えていたところ、その代替となるダンベルペレートがいくつかゴミ置き場にありました。ゴミばかり漁っているわけではありませんよ。プレートは持ち帰ったものの、さる事情から戻しに行きました(笑)

 このところ不思議なシンクロが連続しています。年末年始に会えなかった親友とは、驚きの遭遇をします。原村の棟上げからの帰途、甲府駅に滑り込んだ特急あずさの車窓からホームを見ると、その親友が立っていました。僕と目が合い驚愕の表情を浮かべています。僕ものけぞりました。

 突然、車内で惠理先生と3人で祝杯です。ソーシャルディスタンスで(笑=たんに通路をはんだだけです)

 何でしょう? 惠理先生といると宇宙の不思議な流れの中にいるような気がします。原村とのデュアルライフで、さらに奇跡が生まれていくような予感が湧いてきております。楽しいですね。

 惠理先生のペレレイヒーリングも進化を遂げ、さらなる高みへと上昇しているのを感じます。パワーアップ、何かに引き寄せられている。宇宙か、縄文のエネルギーか? いやはや、驚きを通り越してしまって、もはや自然に受け止めている僕がいます。いやあ痛快、痛快。では、また。