自然体が大事、とはよく言われます。そうだろうな、とも思います。でも簡単そうで難しいかもしれません。僕の場合は特に…。何しろ若い頃から「肩の力を抜け」と言われ続けて生きていましたから。

 年を取って丸くなるという表現があります。丸くはなっていないと思うけれど、肩の力は少し抜けてきたかもしれません。

 そこで思うのが、自然体とはどういうものなのか。無意識のことなのか。例えばキセルってありますよね。今は改札に駅員がいませんが、昔は切符切りがありました。キセルをするぞと分かっていて決行すると、駅員にバレる。

 ところが自分自身気づかずに駅員の横を通り過ぎると、呼び止められることがない。後で「あれ、定期の期限が切れていた」なんてことがあったりしました。これは無意識のなせる技。自然体なんでしょう。疑わしい態度が微塵もない。

 これって体から発する「気」なんでしょう。無表情でいても喜怒哀楽がにじみ出て、人に伝わるってことはあります。「能」も同じではないでしょうか。能面は同じなのに、喜怒哀楽が伝わる。それは体全体の演技なんでしょうが、たぶん役者が発する「気」もあるのかと推察します。

 病気。病は気から。気力。気の力。「気」は大事でしょうね。それがコントロールできたら凄い。さらに自然体の「気」にまで高められたら無敵です。宮本武蔵もまっつぁお。

 自然体で構えられたら必殺です。野球の打撃も同じ。構えは傘を差して歩く姿勢が理想なんです。これが自然体。力が抜け、打つ瞬間、バットがボールをとらえるインパクトの瞬間だけ力を入れる。ま、それが出来りゃ苦労はないか。

 話が大げさになりましたが、自然体と気は大事だ、ということです。それではまた、ペレレイ、ペレレイ。