原村

みどりの窓口あるある

 「みどりの窓口」(以下窓口)さんとは、どうも相性が悪いようです。

 新築の内装がだいぶできたので内覧会があり、長野原村に行って来ました。関内駅で、特急あずさの切符を買うため、窓口へ。一人、先客がいました。これが、うんざりするほど時間がかかっている。ややこしいチケットなのか、はたまた係の女性の要領が悪いのか。

 さらに追い打ちが。朝から酔っ払い風情のジジイが切符を持って、僕たちの前へ。「並んでるの? 」「見りゃ分かるだろうがぁ(心の声)」。たぶん買い間違いか何かでしょう。すると先生が「時間がかからないならお先にどうぞ」って。「えーっ(心の叫び)」。先生、優しすぎる。すると、やはり、ジジイは窓口で管を巻いています。オーマイガー。

 原村からの帰り。空いているはずの茅野駅の窓口でも先客が…。これまた時間がかかっている。なぜだ! いつもこれだ。必ず僕の前は時間がかかる。

 前にも同じようなことは書きましたが、またしても惠理先生から「zizi(対外的な呼称、ふだんは違う呼び方ですが)が短気だからだよ」と。

 引き寄せの法則? 窓口だけではありません。レジも同じです。ということは偶然ではない? 僕が呼んでいる? 性根を叩き直そうと…。

 わかりました。気を長くします。前にも書いたけど…。まだまだだったのですね。ちなみに新宿経由で帰りましたが、湘南新宿ライナーがどこかの駅での安全確認のため20分遅れ!

 「イライラしない! 私は何とも思わない」(惠理先生)

 さすがです。人間ができている。僕はまだまだ未熟です。62歳の未熟者とは…トホホですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

それを作れば、何かがやってくる

 惠理先生のブログ『レムリア時代の約束 合図は「ペレレイ」‼』の中にある文章を読んで思い出すことがありました。

 「長野県原村のあの土地で皆が輪になって天に向かい、このレインボーのペレレイのエネルギーを上げていると… 古代の神様が降りてこられる!!!」

 このフレーズ感、何か似ているような…。

 そうです。1990年に公開されたケビン・コスナー主演の名作「フィールド・オブ・ドリームス」です。31年も前の映画ですから、知っている人はかなり年配かな。

 コスナー演じるレイ・キンセラはアイオワ州で営むトウモロコシ畑にいると「それを作れば、彼は来る」という天の声を聴きます。それが八百長事件で追放された名選手ジョー・ジャクソンのことだと考え、妻の理解を得て畑の大部分を潰して野球場を作ってしまいます。

 全部書くと何なので…。で、まあ他にもやってくるわけです。そして最後に仲たがいをしたまま死別した父が現れます。ヤンキースで大成しなかった若き日の姿です。レイ・キンセラは家出をしたままで、後悔もあったわけです。

 ラストシーン。若き日の姿の父は、外野後方のトウモロコシ畑(そこが冥界)に戻ろうとするのですが、コスナーは「父さん、キャッチボールをしよう」と引き留めます。そして生前果たせなかった親子のキャッチボールが実現。画面は徐々に上空からの映像になっていき、遠景で二人の姿を映し続ける。その後方には「フィールド・オブ・ドリームス」を見に集う、果てしない車の列がはるかかなたの地平線まで続いている…。

 そうです。原村に家を建てれば、何かが生まれる、やってくる、のです。

 もうひとつ思い出し、身震いしました。我が家の隣が、トウモロコシ畑なんです!

 もう決まりですね。原村で何かが始まります。で、惠理先生と「フィールド・オブ・ドリームス」を鑑賞しました。僕は何回観ただろうか。惠理先生はラストシーンで泣いていました。僕は、最初からずっと泣いていました(笑)

 ペレレイが何かを起こします! では、また。ペレレイ、ペレレイ。

逆・断捨離です!

 断捨離を勧める人が多いですね。無駄なものは捨てる。縛られない。物にしろ、考え方にしろ、いいことだと思います。

 ところが、最近の事。僕は捨てるのではなく、拾ってしまったのです。マンションのクリーンステーション、つまりゴミ置き場ですが、そこに古本が置いてありました。本が大好きな僕としては無視できません。どんな本か気になります。見ると、富樫倫太郎の「早雲の軍配師」「信玄の軍配師」「謙信の軍配師」です。読んだことのない作家だし、僕はあまり歴史ものは読みません。せいぜい司馬遼太郎をほんの少していど。ただ、なぜか信玄のことが気になっていたのです。甲府支局に2年いたこともあります。今度、第2の拠点となる長野県原村は諏訪郡で、信玄がかつて支配した地域でもあります。

 信玄だけ読んでみようかと1冊抜いて持ち帰りました。しかし、ほかの2冊も気になり戻って回収しました。出版の順番は早雲、信玄、謙信ですが、僕は気になる信玄から読み、謙信から早雲に戻り3冊とも読んでしまいました。文庫本では上下巻ですから全6巻のボリューム。それをあっという間にむさぼり読んでしまったのです。

 そもそもゴミ置き場から持ち帰ることも異例中の特例なら、すべて読み切ってしまうとは恐れ入りました。もちろん得をした気持ちになりました。

 この流れなら次は秀吉か、家康ですか? すると早雲を読み終えた翌日、ゴミ置き場に行くと隆慶一郎の「影武者家康」が捨てられていました! 以前読んだことのある本で、好きな作家ですが、再読したくなりました。文庫本なら3巻のボリュームです。

 不思議なんです、最近。意識したことが現実化する。先だっては漬物石が足りないと考えていたところ、その代替となるダンベルペレートがいくつかゴミ置き場にありました。ゴミばかり漁っているわけではありませんよ。プレートは持ち帰ったものの、さる事情から戻しに行きました(笑)

 このところ不思議なシンクロが連続しています。年末年始に会えなかった親友とは、驚きの遭遇をします。原村の棟上げからの帰途、甲府駅に滑り込んだ特急あずさの車窓からホームを見ると、その親友が立っていました。僕と目が合い驚愕の表情を浮かべています。僕ものけぞりました。

 突然、車内で惠理先生と3人で祝杯です。ソーシャルディスタンスで(笑=たんに通路をはんだだけです)

 何でしょう? 惠理先生といると宇宙の不思議な流れの中にいるような気がします。原村とのデュアルライフで、さらに奇跡が生まれていくような予感が湧いてきております。楽しいですね。

 惠理先生のペレレイヒーリングも進化を遂げ、さらなる高みへと上昇しているのを感じます。パワーアップ、何かに引き寄せられている。宇宙か、縄文のエネルギーか? いやはや、驚きを通り越してしまって、もはや自然に受け止めている僕がいます。いやあ痛快、痛快。では、また。