ひとりごと

今は戦国時代かディストピアか

 「噓つきは泥棒の始まり」

小さい頃、親からそう言われて嘘をつくことの非について戒められたことはありませんか。

 今、思うに泥棒なんてかわいいもんじゃないですかね。嘘をつくサイドが国家権力だったり、世界を牛耳る資本家だったとしたら、ヤバいと思いませんか。

 権威は嘘をつかない。そう刷り込まれて盲従する。99パーセントの人が信じれば、それは本当のことになります。1パーセントの人が何を言っても信じてもらえない。そんな世の中になりつつあるような恐ろしさを感じます。

 多数が正解。表面上は民主主義。でも嘘つきの誘導だとしたら、それは覇権主義、帝国主義、ファシズムのような気がします。

 いま放送されている大河ドラマ「麒麟がくる」は戦国時代です。たまたま僕も今、武田信玄、上杉謙信、北条早雲の小説を読んでいます。当時は調略、謀反の渦巻く世界でした。味方がいつ敵に寝返るか分からない。うかつに人を信じれば馬鹿を見る。

 今風の表現をするならば、ユートピアと真逆の世界「ディストピア」ではないかと思います。コロナ禍を喧伝して多くの人を恐慌に陥れ、規制をかけていく。飲食店がまず犠牲になり、旅行、運輸関係も衰退させられていく。

 コロナで犠牲になる人より、経済的に追い詰められ自殺に追い込まれていく人々は今後ますます増えていくことでしょう。

 体制を盲目的に信じるのではなく、今は乱世なのだと覚悟して、自分の耳目・五感をフル動員して真実を見極める。そういう人が少しづつでも増えて行かないと世の中は変わりません。もしくは超絶スーパーマンが現れるとか。

 夢だけは持ち続けたいですね。田舎で暮らすのもいいです。仲間を少しづつ増やしてユートピアを作っていく。謀略の外で、自然の中で、生き生きと人生を地球を楽しむ。それが本来の姿だと惠理先生は言い続けています。

 ヒーリングで心身のクリーニングをしましょう。そして嘘のない真実の世界に魂の仲間と一緒に入って行きましょう。ペレレイ、ペレレイ。では、また。

自然体は難しい!?

 最近、有名バンドのボーカリストがドラマに出演しています。日本テレビ『ウチの娘は、彼氏が出来ない‼』には、Alexandrosのボーカル、ギタリスト川上洋平が出ています。

 演技はお世辞にも上手とは言えないと思います。何でしょう。のっぺりしているというのか、セリフは棒読み的な。「ワタリドリ」を歌っているビデオを見るとメチャクチャかっこいいんですけどね。

 もう一人。放送が終わった朝ドラ『エール』で古賀政男役を演じたRADWINPSのボーカル、ギタリスト野田洋次郎。アニメ映画『君の名は。』の主題歌「前前前世」で知られています。

 この人の方が川上洋平より良かったと思いますが、それでも表情にメリハリがないというのか、平板だったと思います。ざっくり表現するなら、お二方とも自然体ではなかったということかなと思います。

 そりゃ無理ですよね。畑違いで、訓練を受けていませんから。そこで昔のことを思い出しました。プロ野球選手もかつてはよくCMに起用されていました。撮影現場に取材に行ったものです。

 みなさん概ね棒読み、無表情。ところが一人だけズバ抜けてナチュラルでうまい人がいたんです。元巨人のエース江川卓さん。野球解説だけでなく、今でもタレントとして幅広く活躍しています。

 共演者が気の毒になるほどに上手でした。自然でした。何ででしょう。訓練などしていませんから、センスとか才能とかなんでしょう。

 ひとつ言えるのは、程よく緊張はしているでしょうが、緊張が度を過ぎて硬くなることがない。余裕なのか、肩の力が抜けている。良く見せようという意欲は必要だと思いますが、それが強すぎて萎縮してしまうこともない。そんな感じでしょうか。

 僕は若い頃、後に日刊スポーツの社長、佐渡市長を歴任した先輩や、テレビ局に転職した同僚に「肩の力を抜け」と言われていました。自覚はないんですけどね。でも、今思えば、力は入り過ぎていた(笑) だから悪いとは思いません。それでなければ闘ってこられなかった。生きてこられなかった、とは感じます。その上で思います。自然体はいいな、と。その方がカッコいいです。

 ペレレイもパワフルですが、自然の力ですよ。惠理先生のペレレイヒーリングを受けて本当の自分、力の抜けた自分を取り戻してください。ではまた。

松井秀喜さんに教えられたこと

 僕が新聞記者の現役時代、「この人は大きいなあ」と思った人に元巨人、ヤンキースの松井秀喜さんがいます。僕より16歳も年下でも尊敬できます。

 彼が実績を積み重ねる前の駆け出しの頃は、いろいろネガティブな記事も書かれていました。ところが彼はまったく気にしなかったのです。「書かないでください、と頼んでも書きますよね。だったら、気にしても仕方がない。僕が努力して変えられることならやりますけど、できないことで悩んでもしょうがないですよ」と、あっけらかんとしていました。

 だから、松井秀喜さんのことを悪く書く人はいなくなっていきました。凄いですね。

 僕たちの悩みの大半は、自分の力ではどうしようもないことではないでしょうか。自分の力で解決できるのに、それをしないで愚痴をこぼしているのは、ここでは問題外としましょう。

 自分にできることは頑張ってやる。でも絶対に自分の力の及ばないことであるならば、悩まない。これは大変大きな指針になると思いませんか。

 とは言っても、簡単ではありません。そこまで達観できることが難しいのでしょうけどね。

 でも松井さんが言ったことは、頭の中に入れて置くといいかもしれません。少しは心の負担が軽くなるかもしれません。

 心の負担を軽くするといえばペレレイヒーリングもそうです。矢後恵理先生の愛のヒーリングで癒されてみてください。閉塞感の充満する時代だからこそ、人の真心のこもったエネルギーは必要だと思います。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

ITは剣より強し、なのかな

 米SNS各社がトランプさんのアカウントを相次いで停止したことが、「表現の自由」との関連で議論が起きている、という記事が1月18日付の朝日新聞に掲載されました。

 ニューヨークタイムズは最近のIT王手の決断について「正しいと思う」としながらも、「彼らがまるで最高裁のように振る舞っているのを見ると、極端に気持ちが悪い感じがする」と指摘しているそうだ。

 なかなか過激な表現ですね。

また朝日新聞のインタビューに答えた、米国で大きな影響力を持つ人権擁護団体「米自由人権協会(ACLU)」の前会長であるナディーン・ストロッセン・ニューヨーク法科大学院名誉教授は「表現の自由と民主主義の原則から考えると、憲法や法律上の責任がなく、選挙で選ばれたわけでもない一企業や個人が強大な権限を持つというのは非常に大きな問題だ」としている。

 さらにインタビュアーの朝日新聞記者は質問の中で「SNSは言論をめぐり、一つの国の政府以上に大きな影響力を持っているという指摘もある」と表現している。

 もっともニューヨークタイムズもストロッセンさんも朝日新聞もトランプ否定派で、彼の肩を持っている立場にはない。ただIT企業の振る舞いにも大いなる疑問を呈している、ということですね。

 巨大IT企業のバックには国際銀行家(アルファベットRの頭文字を持つ2つの巨大財閥)がいるらしいです。この二つの財閥だけで世界の富の恐ろしい割合を占めているとか。僕は直接当事者の話を聞いていない(聞けるわけない)けど、知っている知識人に聞いた話や著作を読ませてもらって勉強し、まあその人たちが言うことは本当かな、と思った上でこの文章を書いております。

 GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)とマイクロソフトの5社だけで、いったいどれほどの「権力」を持っているか。考えただけで恐ろしい。もはや帝国主義的、ファシズムのようなものだと思います。

 30年前に戻れない今、僕たちはネットワークを奪われたら、何もできなくなると思います。つまり知らず知らずのうちにIT帝国の支配下になってしまっているのではないでしょうか。

 怖いですね。では、これから僕たちはどうしたらいいのか、何ができるのか。少しずつでいい、みんなが世界で起きている不気味な動きに耳を澄まし、目を凝らし、疑問を感じて、考え、行動していく時期が来ているように思います。

 坂本龍馬的、世の中をひっくり返せるパワーを持っている超人が出現してほしいと思います。

 ペレレイ、ペレレイ。惠理先生は「愛」の力で世の中に光を降り注ぐ努力を重ねております。ヒーリングで元気になりましょう!

 では、また。

丁寧は「愛」だ

 知人の集まりで、歌手の日野美歌さんとご一緒させていただく機会がありました。昨年末には、ディナーショーにも行かせていただきました。

 ディーナーショーは、隣のテーブルに女優の秋吉久美子さんもいて、昔から大ファンだった惠理先生は興奮していましたよ。握手もしていただいて、お話もできたと大喜び。

 さて美歌さんです。とても丁寧に歌い上げていく、という感じです。あー、歌が本当に好きなんだなという気持ちが伝わってきます。歌うことに対する「愛」を感じました。

 その姿勢、気持ちは例えば僕で言えば文章にもつながります。自分は軽い気持ちで雑に書いていなかったか? と反省してしまいます。何にでも通じますよね。文字を書くこと。人と話をすることも同じではないでしょうか。

 何に対しても丁寧に。雑にならないように。愛をこめて。いいですね。日野美歌さんの歌に教えて頂いたことです。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。ヒーリングも愛です。惠理先生は、クライアント様お一人お一人に対して、「愛」をこめてヒーリングをしております。愛を受け取りにいらしてくださいね。

事実はどこにあるのかな

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を惠理先生と楽しみに観ています。もうすぐクライマックスの本能寺の変です。

大河でなく、大海ですみません。

 それを前に興味深い記事が1月3日付け朝日新聞に独自ダネとして掲載されました。これまでの定説を覆すもので、光秀は本能寺には行かず、8キロ南の鳥羽に控えていという古文書が見つかったというのです。事件から87年後にまとめられた加賀藩の兵学者、関屋政春が書いた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」。この中に当事者の証言がありました。事件に関わった重臣斎藤利光の三男利宗が、甥で加賀藩士の井上清左衛門に語ったものです。これまでの定説では光秀が現場にいたことになっていますが、実は裏付ける資料はないのだそうです。発見した人も東大教授も信ぴょう性の高さを認めています。

 びっくりですね。さて大河ではどう描写されるのか、といっても撮影はだいぶ前に終わっているから、どうしようもありません。たぶん。

 僕が言いたいのは、「事実」についてです。400年以上も前のことなんか分かるわけないよ、というのも分かります。ただし「事実」はひとつです。それがちゃんと伝わってこなかった。「事実」は変わらないのですが、歴史は変わりますね。

 さらに言いたいのは、じゃあ現在はどうなのか、ということです。すべて事実だけが伝えられているのでしょうか? つい70数年前の第2次世界大戦はどうでしたか。敗戦へまっしぐらに突き進んでいるのに、大本営発表は連戦連勝。報道も追随しました。国民は騙されました。

 では画像は本物か。例えば野球中継で今は投手後方のセンターカメラからバックネットを背景に打者との対決を写すことが主流になっています。観客が500人しかいなかったとして、全員をバックネット裏に集め定点で最後まで放送をしたら、見ている人は満員だったと勘違いしますよね。

 本当のことを知るのは、証明するのは取材できない一般の人には難しい。それでもこれまでの人生観、知識、五感を総動員して疑ってかかり、せめて「真実」に近づかないと、だまされてしまうということです。

 権力は続けば腐りやすいです。何でもできるし、やってしまう。だまされるのは力のない私たちですよ。目を開きましょう。そう言いたい例として過去の発見を出しました。

 珍しく真面目になりました。ペレレイ、ペレレイ。ヒーリングでたまった垢をそぎ落とし、スッキリしましょう。では、また。

白黒決めることについて

 僕が駆け出しの新聞記者だった頃、先輩記者から言われたことを今でもはっきりと覚えています。

 「曖昧な記事は書くな。右なのか、左なのか。はっきり示さないと読者は迷う」と。正確ではないかもしれないけど、まあそんな内容でした。

 でも世の中には白でもない、黒でもない、グレーはあるよな。そう反感を抱いたのですが、そうじゃないんですね。グレーをはっきりと「グレーです」と書けということです。「グレーに見えるけど、そうじゃないかもしれません。ま、グレーみたいなもんですかね」というようなことは書くな、ということです。

 しかし記事はいいけど、日常でも白黒を断定する習慣が身についてしまいました。それって極端ですよね。

 今のアメリカを見ていてそんなことを思い出し、考えてしまいました。トランプVSバイデンが象徴的です。「アイツの言っていることは間違いだ。嘘だ」と決めつけ、バッサリと切り捨てる。相手も同じ。分断ですね。民主主義からは程遠い。

 心が狭くなってきました。世の中全体に。だから閉塞感が漂ってきている。思い出すのは王貞治さんのこと。彼は台湾人として差別を受けて苦労したようです。そして身に着けた処世術でしょうか。相手の異見を違うなと思っても「そうですね」と必ず受け止める。その上で「僕はこんな風にも思うんですよ」と柔らく伝える。とても勉強になりました。

 世の中に100%はなかなかない。天皇を知らない人もいる、たぶん(笑)。びっくるするようなことはありますよ。でも、それはそれ。否定はよろしくない。すべて聞き入れたうえで、自分の意見も言えばいいと思うようになってきました。

 アメリカを見ていて思ったことです。では、また。

ペレレイ、ペレレイ。感謝、感謝。ヒーリングで穏やかになりましょう!

寒さに弱くなりました

 横浜は1月2日から12日まで日の出が最も遅い6時51分でした。(東京は若干違いますよ、国立天文台暦計算室による、機関によって情報がなぜか少し違う)。今日1月13日は6時50分。これから少しづつ日の出が早くなっていきます。春の訪れですね。

 偶然にも今冬2度目の大寒波も峠を過ぎ、13日は穏やかな冬晴れです。日の光も暖かいです。

 体が楽ですね。還暦を過ぎ今年63歳になりますが、ここ数年、年年歳歳、寒さに弱くなってきました。若い時は「今日は寒いですね」とあいさつ代わりに言われると、嘘のつけない僕は困っていました。まったく寒さを感じていなかったのです。8月生まれのくせに暑さには弱かったけど寒さには強かった。

 僕の幼少期、もう半世紀も前は冬は横浜でも厳しかった。積雪が1メートルを超えることもあって、家の横の坂道で橇遊びをしたり、かまくらを作ったりしていましたよ。

 学校でも雪合戦が楽しくて楽しくて、トイレを我慢して遊んでいました。ぎりぎりになってトイレに駆け込み、便器を前にしたところで安心したのか、チャックを下ろしながら漏らしてしまったことがあります。黙って家に帰って着替えて戻りました。その時のトラウマでしばらくトイレが近かった。バス旅行など、恐怖ですらありました。

 ま、今では愉快な思い出です。最近は雪も少なくなり、しばれるような寒さはほとんどない。それなのに寒さには弱くなり、昔はしていなかった手袋やマフラー、ニット帽など総動員です。

 だから4月から二重生活をする長野県の原村の冬がちょっぴり心配です。30代後半に青森支局を1年経験して雪の深さには耐性があるように思いますが、原村は雪より路面が凍結する寒さのようです。

 ヒエーッ。大丈夫か! 当初は昨年12月末の完成予定が春に伸びたのはよかったけど、引き渡し予定が3月31日。引っ越し代が通常の3倍だって。そっちの方が寒いわ! とはいえ楽しみの方が3倍以上です。では、また。

無駄な努力はあるか?

「努力してもムダだよ」

「ムダな努力だったね」

 と言うのは、ずいぶんと余裕のある上から目線のような気がします。確かに結果が実らないこともあるでしょう。だからといって、それまでの努力がムダだったことにはならないと思います。

 諦めないこと。これも努力のひとつだと思います。積極的ではないし持久型の長期戦タイプですね。でも諦めなければ試合は終わらない。いつか必ず小さくても何らかの実を結ぶ。そう思います。

 コツコツ続けること。これも努力のうちでしょう。地道に気長にやり続ける。そうすればきっと何かを生む。何かにつながる。

 まあ多少は楽天的で自己肯定型ですけど、少なくとも前向きな生き方ではありますよね。自分を信じることは大切です。スマートではないし武骨かもしれないけど、誰もが認める能力がなければ、やれることはコツコツしかないでしょう。

 これって実はけっこう難しい。地味な努力です。三日坊主はダメですよ。せめて五日はやりましょう(笑)

 

吾輩は猫になれたらニャン

猫になれたら幸せだろうか? 我が家のマリンは、箱入り娘である。こちらが絶好調の時は眺めているとホッコリするが、理不尽な敵と対峙しているときは、うらやましくもある。

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