記憶にございません! 北新地編

 

記憶にございません。なんて政治家か官僚みたいですね。ちなみに北新地編とありますが、初めてのテーマです。シリーズとして続く予定もありません。

 

 

恵理先生のお供で3カ月連続の大阪出張です。先生がセッションをセッセとやっておられる間、時間だけは有り余るほどある肩書だけ大層なわたくしめGMは、来月に先生が予定している新大阪のお話会会場と梅田の懇親会会場の下見を行いました。

 

梅田から肥後橋のホテルまで歩いて帰る途中のこと。何しろ有り余る時間を持て余す身、途中にある北新地をブラブラどころか果てしなくブラブラしました。何故かというと、30年前に遊び歩いていた面影が消え去っていたからです。ここはどこってなもんです。記憶を追い求めてさまよい続けました。歩数にして1万2000歩!。山登りか!

 

確かに新地でした。「ここはあった」と思う場所が数か所はある。しかし周囲を超高層ビルにスッポリ囲まれ別世界。僕はいったいどこを歩いているんだろう。僕は30年前、どこを歩いていたんだろう。ものすごく寂びしくなりました。

 

北新地ビル

北新地の入り口に聳え立つ大谷翔平のように背の高いビル。こんなのなかった…。

 

一人で勝手にブヒブヒ言っていた、あの北新地はどこさ行った。思い出はあるが、記憶と重ならない。その虚しさたるや。歩かなきゃ良かったのかな。いや、現実は受け止めねば。あー、もどかしい。2度と行かれない世界だと思えば、なおさら過去が愛おしい。

 

久し振りにセンチメンタルになりました。では、また。

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コメント

  1. やすこ より:

    洋一さん

    まるで記憶喪失になったような一日だったのですね。
    そういうこと、年を重ねればよくあります。
    我が家の亭主は「20年前にはここにあったのに」と、日常口にします。
    時が止まっているわけでもなく確かに彼は生きているのだと思いますが、物体は変化しないで記憶にある通りだと思っているのでしょうか。
    私には理解できない事ですが、そういう人の発言は聞いていて面白いものです。

    さてさて時間は有り余るほどある、などと仰らずに、溢れるパワーを出し惜しみせずに活動していただきたいものです。
    ZIZIBABA’Sの結成がありましたら、いつでもお声がけください。
    お待ちしております!(^^)!

    1. 矢後 洋一 より:

      やすこ様

       ありがとうございます。懐かしいと思って行ってみたのですが、
      別世界になっていたというわけです。
      見るのは少し怖い気もしたのですが、やはり寂しさを感じました。
       思い出は心の中で鮮明にあればいいのかな。現実が変わり果てていると、
      素晴らしい思い出までが色あせてしまうような…。
       まあ年取れば当たり前か。
       また別の新しい思い出を作っていきましょう。ジジババで…。

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