瞑想と読経

4月2日、瞑想をした。ほんの短い時間ならやったことはあったと思う。しかし、1時間もみっちりやったのは初めてだった。これが、意外にも良かったので驚いています。

僕はわずかな時間でも、ジッとしていられない。だから子供のころは朝礼が苦手だった。大きくなっても法事は大の苦手。泳いでいないと死んでしまうマグロと同じ、マグロ人間だったのです!

3月31日にツインソウルが1時間半の瞑想後「とっても良かった。これからは、洋〇〇(恥ずかしい愛称なのでカット!)も一緒にやろう」とのたまった。もちろん「何で、ワシもやらにゃあ、いかんのじゃ」と、仁義なき戦いばりにスゴませていただきました。何しろ息ができなくて死んじゃいますから。

そして4月1日、義父の三回忌がありました。僕の苦手な法事です。ところが30分近くにも及ぶ読経をしていると、何だか、気持ちが安らぐというのか、悪い心持ではありません。アレッ。僕って、こんなに忍耐強かったっけ? まさかね。でも本当なんです。

で、2日。瞑想しちゃったんです。すると魔訶不思議。たいがい10分でギブアップするところ「そろそろ10分だべ」と思いつつ時計をチラ見すると、もう25分も過ぎている! エーッ!! 時間がはやっ。こりゃ、いける。と自信が生まれ、1時間もやってしまったわけです。

僕がイライラする短気の原因が分かりました。落ち着きがなく、焦ったり、自爆を繰り返してきたのですね。「心頭滅却すれば火もまた涼し」(臨済宗妙心寺派の僧、快川紹喜の辞世の句と言われている)まで達観はできませんが、何やら一端が分かったような…。

たぶん、ペレレイヒーリングにも一脈通じるところはあるのでしょう。ペレや天照大神、宇宙の光や地球の大自然とつながることで、大きな何かに包み込まれているのかな。これからは法然(浄土宗)も親鸞(浄土真宗)も、みーんな含めて、宗派やら何やらを越えて、繋がっていきたい思いです。

時間に流されるのではなく、何かをやらされていると感じるのではなく、自分から進んでやりたいことをやりたいようにやる。もしくは、やれるようになる。そうしたら、楽しいですよね。

よし、これからは迷走しないで、瞑想だ!(オヤジか!)

マリン日向ボッコ

あたしも瞑想中。え、寝ているように見える? マジっすか(byマリン)

 

 

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