受け止めるということ

5月20日にボクシングの世界戦がありました。ロンドン五輪ミドル級で金メダルを獲得した村田諒太が、初めてタイトルに挑戦する注目の一戦でした。しかし結果は判定負け。残念でしたが、僕は村田という男に惚れました。村田という苗字は「男」なんすかね。

内容を話すと、ボクシングに興味のない女性は読んでくれないと思うので、泣く泣く割愛します。判定は3人のジャッジで行うのですが、スプリットデシジョンといって村田を勝ちとしたジャッジが一人、相手を支持した人が二人と分かれ、1対2で村田が敗れました。パンチ数は相手が2倍以上でしたが、後ろに逃げながら、ただ腕を伸ばしているだけ。村田は追いかけ続け、1度ダウンを奪うなどダメージを与える有効打を打ち続けました。手数を評価するか有効打を評価するかというのも虚しいほど、見た目にはワンサイドゲーム。村田の圧倒的勝利は誰の目にも明らかと思えました。

翌日には、この試合を管轄する世界ボクシング協会(WBA)の会長が判定の間違いを認め謝罪。再戦を指示する異例の事態に発展したことで、歴史的な誤審は明らかです。

僕が言いたいのは、ひどい判定事件ではありません。村田は「自分があと1、2回倒していればよかった。パンチ数は少なかった。第3者の目がすべて」と潔く認めたことです。五輪後プロに転身。5年の歳月を費やして精進に精進を重ね、やっと実現した夢の舞台。そこに待っていたのは、あまりにむごい判定でした。

僕なら気が狂ったように、泣き叫ぶでしょう。「僕の人生を返せ」と。椅子に座って、のほほんと人の試合を手前勝手に評価し、間違った決定を下したジャッジを恨みます。

ところが一夜明け、村田は同じホテルに泊まっていた対戦相手とロビーで会って健闘を称えあったばかりでなく、連絡先も交換。また会おうと笑顔を見せたというのです。

村田は美しき勝者です。打ちのめされたのは僕です。過った人を恨まない、赦す。そんなことは神にしかできません。勉強になったなんて言うのも恥ずかしい限りですが、男村田を尊敬します。

アスリートとは違いますが、伊藤惠理はカウンセラーとして、様々な問題に苦しむ人々と会って、癒し続けています。相手の悲しみを受け取り、自分のことのように苦しみ、戦い、そして救っています。そんな姿を見ていると、やはり凄味を感じてきました。他人の悲しみを「受け止める」器がないと、できないことです。

村田に話を戻しますと、間違った判定については他人事なのに悔しくてなりません。でも、もっと辛いのは当たり前ながら村田です。その悲しみに思いを寄せ、受け止め、応援することしかできません。とても素晴らしい態度を見せていただきまた。

ありがとう、村田諒太。

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ムラタ、かわいそう。わたし、泣いてます(マリン)

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コメント

  1. 宣伝部長 Y.I より:

    おはようございます☀
    ボクシングのことは、ほぼ、というか、全然わかりません。が、この試合、見ていて、残念‼️そして、うそ‼️と、まず思いました。だって、何もわからない私にも、村田が勝ちと思えたからです。
    人生には、自身の努力や、成果と関係なく、いや、まるでそれをあざ笑うかのように、ありえない結果や評価がでてしまうことは多いですね。
    私も最近、痛い思いをしました。
    でも、しっかり、顔をあげて、できる限り、気持ちよく、生きて生きたいと思っています。
    そして、そう思っても、自分の気持ちがうじうじするときのお助けレディーが、恵理先生で、お助けの魔法の杖が、ペレレイです。

    今後ともよろしくお願いします。
    今回のブログは、とてもとても、元気をくれました。

    1. 矢後 洋一 より:

      宣伝部長様

       ありがとうございます。部長もご覧になっていたのですね。
      今後ともよろしくお願いいたします。

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