僕って何者ですかね? マジで

 自分のことを実は自分が一番分かっていないのではないか、なんて今更ながら思いました。青年期に考えることですわなぁ。

 小さい頃かな、録音された自分の声を初めて聴いた時、こんな声なんだと不思議な感覚を味わったことはありませんか。僕は違和感を感じました。顔の中で反響している声を内側で聴いているのと「差」があるのでしょう。

 写真写りがいいとか、悪いとか自分で思うのも同じような側面があるのかもしれません。他人から見れば、お前はそう言うけど、その写真は立派にお前だよと思いませんか。

 発展させて外見以外のことにも通じるかもしれません。妻や友人にバッサリと痛いところを指摘されると、僕の場合は冷静さを一瞬にして失い、激高してしまうわけです。

 鏡で見る自分と他人が見ている僕は違う。そういう一歩引いた理解ができるなら、無用な喧嘩がなくなるのかもしれないと、124年ぶりの2月2日の節分に思い至った次第です。

 他人の僕についての言及、それを冷静に受け止めてみる。他人が理解している自分と自分が勝手に思い描いている理想の自画像の間には大きな溝がある(怖っ)そう思えるようになりました。62歳にもなって。あー青臭っ。でも、ま、いいか。気づいた時、決して遅いということもなかろう。何しろまだ人生の半分なのだから(笑)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。惠理先生のペレレイヒーリングを受けて本当の自分を見っけてね!

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA