猫っかわいがりだすな

入れ物があると必ず入ります!

 猫をかわいがる。猫っかわいがりと言いますね。犬の場合は、犬っかわいがりとは言いません。何ででしょうか。惠理先生も、ことマリンに対すると、この文字通りの「猫っかわいがり」です。

 僕は犬も猫もあまり可愛いとは思っていませんでした。ペットを飼うのは人間のエゴではないかと思うくらいでしたから。しかし一緒に暮らすようになって7年にもなるマリンには、やはり愛情が芽生えております。自分がマリンを「猫っかわいがり」していることに気づくと、驚いてしまいます。

 「猫を被る」は表面上、大人しく見せる、と言う意味ですね。ということは、本物の猫は大人しいということになります。確かに犬と比べると分かります。マリンも毅然としています。貴婦人と呼ぶ人もいます。

 反面で愛想はないですよね。犬のようになついては来ません。名前を呼んでも無視することも多い。犬ならそれはないでしょう。不思議な習性ですよね。マイペースです。「私は私」を貫き通します。ここらへんは見習うといいかもしれません。媚びない。へつらわない。大したもんです。

 僕は喜怒哀楽が激しいといいますか、大人しそうに見えて、結構な激情型です。猫を見習って「猫を被る」のもいいかもしれません。それって偽りじゃん。でも、それが板につてくれば、それが自分になるのかもしれません。毅然と、冷静に。猫のように。ニャーンてね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

シンクロの極致だな

 

糖尿病と闘病中のマリン

 愛猫マリンが昨年6月、糖尿病になり苦闘しています。かかりつけの病院が高額なのです。必要以上の検査をしているとしか思えず、2カ月連続で3万円かかったときには不安になりました。ペットを飼っている人間は盲目的な愛情を持っていて、金も持っているから、巻き上げても問題はないというような姿勢に映ってしまいます。

 ある朝、近所に住む担当医と出くわしました。最近は必要最低限の検査を求めて以来、態度が豹変していたのですが、やはりぎごちない素っ気ない態度にガッカリしました。

 転院しよう。そう決意を固めネットで検索。浮上した候補が徒歩圏のK動物病院でした。

 その日。知人Mさんに誘われMさんの友人Sさん宅で惠理先生とご馳走になりました。すると驚いたことにSさんが飼っている14歳の猫が糖尿病ということなのです。通院している病院を尋ねると、そうです。「K動物病院」だったのです。しかも注射を含めすべてが半額レベル。

 「必要以上の検査はしないから、安心ですよ」とのこと。なんということでしょう。転院を決意した朝の午後に、この情報ですよ。驚きました。そして気持ちが楽になりました。

 最近は、神様に案内されているように感じるシンクロナイズが増えています。ちょっとした「奇跡」の連続を体験しています。誰にだか分かりませんが、ありがとうございます。感謝。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

吾輩は猫になれたらニャン

猫になれたら幸せだろうか? 我が家のマリンは、箱入り娘である。こちらが絶好調の時は眺めているとホッコリするが、理不尽な敵と対峙しているときは、うらやましくもある。

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名を知らぬ人に愛称をつける

 

山下公園で早朝にラジオ体操をするようになって4カ月になります。日によって多寡はありますが、数十人が集まっています。名前は知りません。その人々のことを恵理先生と話題にする場合、「あの人」と呼んでも分かりません。そこで重要登場人物にニックネームをつけました。

 

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猫に小判ではなく、猫に錠剤…

 

10歳になる愛猫のマリンが膀胱炎で苦しんでいます。20日に病院へ行き、錠剤の薬をもらいました。以前は飲んでくれていたのですが、今回は4日目に、飲み込まず口中に留め吐き出す術を覚えてしまいました。5日目は惠理先生とマリンの根競べ。ついに先生の方が「可哀そ過ぎる」と音を上げました。

 

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