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日本人は変わったのか?

  オーナードライバーに復帰しました。ペーパーでくすぶること7年。結構なブランクです。

 久しぶりに本格的に運転を再開して3週間。すでに1000キロを走りまして、一気に感覚を取り戻しております。何しろ半移住する長野・原村や群馬・高崎への往復を連発しておりまして、怖さもあった高速にも慣れつつあります。

 そうなると余裕が生まれてきますから、他の人の運転に思うところが出てきます。日本人は奥ゆかしく、遠慮がちで、控えめで、みたいな表現が合う人種だと思っていたのですが、気質が変わったのか、以前が思い違いたったのか。

 驚くようなタイミングで僕の車の前に車線変更してくる人、合流地点が近づき車線変更をアピールするウインカーを点灯しても無視を決め込む人。穏やかな、譲り合う精神に富んだ品のあるドライビングはできないものでしょうか。

 走っている車からは殺気のようなものさえ感じてしまいます。品のない走行。思いやりのない自分勝手な運転をする人の、なんと多いことか。

 僕だってイライラもするし、決して寛大な方ではありません。はっきり言えば短気であります。それでも我慢はする。譲る。それくらいの気持ちはあります。〇〇人のような「オレオレ」的な人を蹴落とすほどの天上天下唯我独尊的野蛮な精神は、ないつもりです。

 あーあ、何だかなあ。この3週間、道路を徘徊していて少し悲しくなってきました。皆さん、もう少し余裕を持ちませんか。他人を思いやる心、譲り合いの気持ち。

 これも初老の愚痴ですかね。「今どきの若い奴は」的な。ところが割り込みを許さなかったのはジジイですよ。乱暴勝手な運転をしているのが若者かといえば、否。年とっても寛大になり損ねた人が多いようです。

 楽しくドライブしたいですね。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

疾きこと風のごとし

 歩くのが遅い人がいます。女の人ならいいですが、男だとどうでしょうか。僕は目の前で働き盛りの青年がチンタラ歩いているとイライラしてしまいます。年寄りや幼い子なら別ですがね。これって男女差別ですか(笑)

 歩くスピードが速い人は、仕事をバリバリやるイメージです。逆の人には活力を感じません。

 なんでもスピード感を持って対処することが肝要。先延ばしはよくありません。思い立ったが吉日。やれることはバンバンやっていく。それが僕の信条でもあります。

 惠理先生がこのところしきりに、風の時代に入りました。と言っていますね。昨年12月22日に「地の時代」から「風の時代」に入ったそうです。なんだかわからないけどスピード感を貴ぶ僕にはワクワクします。疾風怒濤です。

 そういえば最近、気になってる戦国武将の一人に武田信玄がいます。僕は記者時代、山梨支局にもいたので多少の縁はあります。4月から二重生活をする諏訪郡もかつては信玄が支配したこともあるので縁を感じます。

 信玄の軍旗に書かれていた「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」を略して言うのが風林火山。風があります。出所は「孫子」で、兵法のひとつだそうです。「疾きことのごとし」、「しずかなることのごとし」、「侵掠すること火のごとし」、「動かざること山のごとし」と読み下すのが一般的。

 動かざること山のごとし、は良く聞くと思います。僕はさらに「疾きことのごとし」が好きです。しかも漢字がいい。疾し! 気持ちいいですね。いかにも速そうです。

 なんでものんびりしていてはいけません。置いて行かれます。人に、時代に、宇宙に(笑) 惠理先生は早いですよ。やることなすこと。男前です。やはりできる人は早いんです。

 さあ乗り遅れないように、一気に進みましょう。素晴らしいユートピアに向かって。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

 

逆・断捨離です!

 断捨離を勧める人が多いですね。無駄なものは捨てる。縛られない。物にしろ、考え方にしろ、いいことだと思います。

 ところが、最近の事。僕は捨てるのではなく、拾ってしまったのです。マンションのクリーンステーション、つまりゴミ置き場ですが、そこに古本が置いてありました。本が大好きな僕としては無視できません。どんな本か気になります。見ると、富樫倫太郎の「早雲の軍配師」「信玄の軍配師」「謙信の軍配師」です。読んだことのない作家だし、僕はあまり歴史ものは読みません。せいぜい司馬遼太郎をほんの少していど。ただ、なぜか信玄のことが気になっていたのです。甲府支局に2年いたこともあります。今度、第2の拠点となる長野県原村は諏訪郡で、信玄がかつて支配した地域でもあります。

 信玄だけ読んでみようかと1冊抜いて持ち帰りました。しかし、ほかの2冊も気になり戻って回収しました。出版の順番は早雲、信玄、謙信ですが、僕は気になる信玄から読み、謙信から早雲に戻り3冊とも読んでしまいました。文庫本では上下巻ですから全6巻のボリューム。それをあっという間にむさぼり読んでしまったのです。

 そもそもゴミ置き場から持ち帰ることも異例中の特例なら、すべて読み切ってしまうとは恐れ入りました。もちろん得をした気持ちになりました。

 この流れなら次は秀吉か、家康ですか? すると早雲を読み終えた翌日、ゴミ置き場に行くと隆慶一郎の「影武者家康」が捨てられていました! 以前読んだことのある本で、好きな作家ですが、再読したくなりました。文庫本なら3巻のボリュームです。

 不思議なんです、最近。意識したことが現実化する。先だっては漬物石が足りないと考えていたところ、その代替となるダンベルペレートがいくつかゴミ置き場にありました。ゴミばかり漁っているわけではありませんよ。プレートは持ち帰ったものの、さる事情から戻しに行きました(笑)

 このところ不思議なシンクロが連続しています。年末年始に会えなかった親友とは、驚きの遭遇をします。原村の棟上げからの帰途、甲府駅に滑り込んだ特急あずさの車窓からホームを見ると、その親友が立っていました。僕と目が合い驚愕の表情を浮かべています。僕ものけぞりました。

 突然、車内で惠理先生と3人で祝杯です。ソーシャルディスタンスで(笑=たんに通路をはんだだけです)

 何でしょう? 惠理先生といると宇宙の不思議な流れの中にいるような気がします。原村とのデュアルライフで、さらに奇跡が生まれていくような予感が湧いてきております。楽しいですね。

 惠理先生のペレレイヒーリングも進化を遂げ、さらなる高みへと上昇しているのを感じます。パワーアップ、何かに引き寄せられている。宇宙か、縄文のエネルギーか? いやはや、驚きを通り越してしまって、もはや自然に受け止めている僕がいます。いやあ痛快、痛快。では、また。

何が起きても世界は必ずよくなる

 コロナウイルスについてはデリケートな問題もあり、

あまり触れたくなかったのですが、ひとつだけ言いたい。

 センバツ高校野球が中止になってしまったこと。

一生に一度の少年の夢を誰が奪ったのか。コロナウイルスは人災だと思います。

 こうした事態を引き起こした原因が、初期段階での政治家による隠ぺいにあるなら、それが全世界に危害を及ぼしたのならば、許されるものではありません。

 保身、自分さえよければいいという、いつの世にも最も多い政治家の性。

犠牲になるのはいつもサイレントマジョリティー。

権力者の横暴はいつの世にもありますが、今回の大惨事が将来的に、そうした闇の権力者の抹殺につながるのであれば、と願うしかありません。

 僕たちは自分たちにできることをしっかりやる。 それしかありません。必ず、いい方向に向かうと信じて行きましょう。

氷川丸の窓の向こうに見える朝日

アルコール依存症、ではありません

 近頃の若者は酒を飲まない。

それは感じていましたが、11日付朝日の朝刊社会面の記事を読んで、

心底驚きました。

 飲酒習慣率の変化という折れ線グラフが載っていました。

1997年と20年後の2017年を比較しています。

20代男性の飲酒率でいえば、

97年は31%の青年が飲んでいましたが、

17年には16%まで下がっています。

 20年前でも3割しか飲んでいなかったのか…。

と驚きつつ、今や100人中16人しか飲まないとは…。

 背景、理由は健康志向の高まり、

節約志向、自己管理欲求の高まりに加え、

飲みニケーションの価値低下が挙げられていました。

 上司と部下が酒を飲みながら、腹を割って話し合うなど、

遠い昔というわけです。

 最近は忘年会も「会議と同じ」という理由で欠席する人が多いとか。

 高度経済成長、バブルなどを経験してきた還暦青年にとって、

時代が変わったなんてもんではありません。カルチャーショック!

もはや若者は異星人です。

 これまで週に1日は休肝日を設けていましたが、

今は頑張って2日。それが精いっぱい。

美味しいものを食べながら飲む。

「とりあえずビール!」「かんぱーい!!」

なんて今は昔の物語ですか。寂しい。寂しすぎる。

 僕は恵理先生と飲んで食べて話し、

「あー、幸せだね」と言い合うのが活力です。

友人と飲むのが楽しいです。

 決してアルコール依存症ではありません。

 さあ、飲みに行こう。

若者よ、街に出よう!

3月14日にデビューする新型車両、サフィール踊り子が横浜駅に停車していました

大学駅伝に勇気をもらう

 僕の正月の楽しみは大学駅伝を観ることです。 2日、3日の朝8時から。 何で、ただ走っているだけの画面を5時間以上も、 ボケーッと観ていられるんだろうと不思議に思っていました。  

   なぜか分かりました。 若者が頑張っている姿、襷を懸命につないでいく姿に、 勇気をいただいていたのですね。  僕も頑張ろう。今年も頑張ろうと、 そういう熱いメッセージをいただいています。  昨年はラグビー日本代表が、ワンチームという絆で感動をくれました。 僕は野球記者を卒業しても、 いつまでもスポーツが好きなんだな。  

    確かに敗者はいます。かわいそうです。 だけど負けても最後まで必死に闘った結果です。 しっかり受け止め、次に先に進めばいい。 僕だって負けは多かった。  

ただ諦めない気持ちだけは持ち続けてきました。  これからもずっと、最後まで夢に向かって闘っていきます。 でも楽しくね!

夜明けぜよ。日の出っていいですね。始まりって感じですよね。

そうだ 奈良行こう

室生寺の五重塔

 滋賀、京都、奈良3県の神社、お寺巡りに行って来ました。 京都は惠理先生が育ったところなので行く機会は多いのですが、 意外にも奈良に行くのは中学の修学旅行以来でした。 スピリチュアルでない人でも、何やら神聖な、 神秘的な、厳かな雰囲気は感じられると思います。 それがスピリチュアルだと思います。  

 スピリチュアルというと、なにやら怪しげに感じますよね。 超常現象的な世界を想像する人もいるかと思います。 ライトハウス英和辞典によると、 ① 精神的な、霊的な、心の ② 崇高な、気高い ③ 神聖な、気高い  とあります。 怪しげな言葉は「霊的な」だけです。 しかもゴチックで強調されているのが、精神的な、です。  中でも奈良では、崇高な、神聖なエネルギーを感じました。  

 まさに古都です。いいですね「古都」。 何しろ京に都があった平安時代より古いのです。 京都の神社仏閣とは、ひと味違います。 談山神社、長谷寺、室生寺、どこも素晴らしかった。 殊に室生寺には、とても惹かれました。 まさに森閑という言葉そのままです。 森の中に閑(しずか)に本堂を始めとした建物が、 たたずんでいる。そんな感じです。

 京都は美しく整っていますが、 奈良は、自然のまま、武骨にそこにある。  都会の喧騒を離れ、しばし幽玄の中に身を置く。 なんて贅沢な時間でしょうか。 ああ、日本人に生まれてよかった。 そう思います。日本人の精神性を感じます。 これからは、また奈良には行くような気がします。

最近多い不思議なシンクロ

 最近、不思議なシンクロに出会います。 見えない力が動いているような、そんな感じですかね。

  先日、公開間もない「天気の子」を観ました。 ネタばれになるので詳しくは書きませんが、 「世界は元の形に戻っているだけ」「昔はこうだったんだよ」みたいな、 セリフがありました。流れの中で、いいなあと感じておりました。

 で、翌日の早朝。いつもの通り山下公園でラジオ体操などするとき、 一面が靄っていまして、何と至近距離にあるベイブリッジの姿が見えません。 驚いていると、80歳の元気なおばあちゃんが、 「昔の景色はこうだったんだよ」と言うじゃありませんか。 ドッキリしました。確かに僕が子供の頃にベイブリッジはありませんでした。

  いま、昔に戻っている部分もあります。 例えばアナログのレコードの良さが見直されていたり。 ネット社会に溺れそうなziziにとっては、 昔の部分に触れるとホッとしたり和んだりします。 自分が大切にしている原風景みたいなものに、 出会う機会が少しでも多くあるといいなと思います。

本当はベイブリッジが見えるところなんですよ。珍しい光景です

ヘアカラーは難しい

 

黒髪に戻っちゃいました。意図とは別に。なかなかリクエスト通りにならない。まあ、人の髪の毛なんて、誰も気にしていないでしょうから、どうでもいいんですけどね。

 

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