ひとりごと

鼻水が大洪水やぁ~っ!

 皆さーん、元気ですかっ。僕はグッスン、ズルズルズルー。

 自分が花粉症になるとは、還暦までは思いもしませんでした。まったくの他人事でした。

 ただの風邪(どこかで聞いたような)と思いこもうとしていたのですが、もはや立派な一人前のどこに出しても恥ずかしくない花粉症です。夜中でもクシャミが止まらず、目はかゆく、鼻水が垂れ流れてまいります。

 しかも洗眼薬、点眼薬以外に何の治療、服薬などしておりません。家の中も換気を優先しているため、花粉と共生しております。無駄な抵抗はいたしません。杉様を恨むことなく感謝し、無用の薬は飲んでおりません。

 ひとつ思うのは、鼻水です。いったい、体の中のどこで、次から次へと湧き出てくるのでしょうか。枯渇する気配などさらさらない。鼻水様も恨まず感謝申し上げないといけませんかね。ティッシュの消費量が半端ないので、製紙会社も喜んでいることしょう。

 それでもアナウンサーのような職業の人のことを思えば、僕などまだまだ恵まれています。記者時代は、アナウンサーの方たちとお付き合いをしていました。花粉症で苦しんでいても、まったく理解できず、同情もせず、今思えば随分と冷淡だったと大いに反省しています。

 ごめんなさい。この場をお借りして、謝罪いたします。これからは共に花粉症と仲良く暮らしていきましょう。きっと、いいことありますよ。

 では、また。ズルズル。じゃなかった、ペレレイ、ペレレイ。

ディスプレイは大切です

 久しぶりに行った100円ショップ「ダイソン」のディスプレイが様変わりしていたので、大いに戸惑いました。どこに何があるのか、ようやくわかってきて、買い物がスムーズになってきたところでした。

 「なぜだ!」。そう叫ばせていただきたかったですよ。客から不満が出ていたのでしょうか。店側で変更しなければならない理由とは何でしょうね。

 結局、探しても手間取るばかりで、いちいち店員さんを探して、目当ての商品の配置場所を教えて頂くことになります。

 店舗がリニューアルする場合は仕方ない、と思います。菊名の東急ストアがその例です(とはいえ、だいぶ前の話)内装が劇的に変わってしまえば、配置も変わるでしょう。理解できます。

 ただ陳列棚が元通りなのに、配置がごっそり変わっていると、もう探し物は行方知れずです。また覚えるのに時間がかかってしまいます。で、覚えた頃にまた配置替えなんてことになったら、どうしましょう?

 そんな取り越し苦労はしなくていいのですが、しばらく不便を覚悟で行くことになりますね。トホホ(またまた古い…)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

多才な人が増えました

 ジャニーズの人気アイドル、加藤シゲアキさんが吉川英治文学新人賞を受賞しました。凄いですね。芥川賞、本屋大賞のノミネートに続き、ついに受賞となりました。

 ジャニーズで一流のタレント活動をしているだけで別世界の人なのに、小説家としても本物というわけです。どちらも中途半端ではない。ドエライことだと思います。別次元の人ですね。

 吉本興業の人気お笑い芸人、ピースの又吉直樹さんが芥川賞を受賞したことは記憶に新しいところです。やはり、とんでもないことだと思いました。ただルックスは冴えないし、相方の綾部祐二の陰で目立たない存在だったために、作家になったということも違和感なく受け取れたように思います。根暗系が作家っぽいからかな。

 それに比べて加藤シゲアキさんの場合は、すべてが完璧すぎて、考えさせられてしまいます。一般人には想像を絶します。僕なんてチンパンジーですね。何も才能がない人、あらゆる才能を独り占めしている人。人間って何だろう、人生って何だろうって考え込んでしまいます。

 時代でしょうか。時代って何だ? 明治、大正、昭和前期時代の文豪で歌って踊れるイケメンはいませんでした。森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎がどうでしょうか。タイプを二分すれば又吉系ですよね。どう見たって加藤シゲアキ系ではない。(最も鴎外は医者だから別格ですけど…)

 加藤シゲアキを生んだのは時代でしょうか。現代は何でもやれる、自由な世界。才能があれば誰にでもチャンスはある。ちゃんと門戸は開かれている。

 ですから人を羨んでいる暇があったら、おめーも素晴らしい小説を書けよ、ということですよね。文芸誌の新人賞には誰でも応募できます。ずば抜けた作品を書けば、誰でも受賞してデビューできる。グダグダ言ってんじゃねーよ、です。

 違うのは、加藤シゲアキさんは人気有名人だったから、登竜門を通らなくても出版させてもらえるという恵まれた環境にあっただけ。それは羨ましいけど、そういう優遇を勝ち取れる立場まで辿り着いたのも彼の努力の賜物です。立派です。

 人気タレントは超高額所得者でしょうけど、それなりに深い悩みもあるでしょう。執筆だって苦労を重ねたでしょう。偉いと思います。その上で、やっぱりチンパンジーから見ると、何でだろうって思ってしまうのが悲しい性ですね。

 ま、ここまで頑張ってきた自分を褒めつつ、これからの人生はご褒美だと思って楽しみながらの努力を続けて行こう。そう思います。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

特別じゃない日は特別だ

 またまたCMからのお話です。

 リンナイのホームランドリー「乾太くん」のCMで、流れているコピーが「特別じゃない日は特別だ」。これが耳と目に入った瞬間、「お、いいね」と感心しました。

 どうってことない日常、平凡であることの大切さみたいなことでしょうか。確かに普通でいられることの難しさ、素晴らしさを感じるようになってきました。これまた年を取ったということですかね。

 二葉亭四迷に『平凡』という小説があります(読んでいないけど、笑)。たぶん、最後は平凡の大切さに戻っていくというような内容だと思います。

 二葉亭四迷の生きた明治時代は、小説家など「水商売」でした。四迷は父に「小説家になる」と言ったところ「くたばって死ね」と言われたとか。で、発音を模してペンネームにしたというようなエピソードだったと僕は記憶していました。僕がこんな面白い作り話を思いつくわけないし。ただウィキペディアによれば、自分を卑下して自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったのが由来とあります。どっちでもいいけど、父に「死ね」と言われた方が、時代を表していておもしろいけどね。

 映画『咲む』(えむ)について前回書きました。耳の不自由な人々を巡る人間ドラマ、家族の物語でした。やはり失って分かる有難みが健康です。普通でいられることの何と幸福なことか。それに気づかず、人のせいにしたり、世の中を恨んでいる人はいますよね。

 感謝の気持ちを持って、日常を送って行きたいと思います。特別じゃないことは、特別なんだと思いながら、ね。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

僕にも取柄が、あるぅ~

  「影武者 徳川家康」(覚えておいでか、マンションのクリーンステーションから拾ってきた古本)を読んでいて、うれしい文章に出会いました。

「替玉にせよ徳川家の頂上にある身が、一介の忍びに頭を下げるとは、出来ることではない。要するに素直なのだが、六十まで素直なままでいられる男は数少ない。ある意味で非凡な男と云えた。」

 なんと、僕は62歳です。長所、美徳などがほぼない僕とはいえ、子供の頃からひとつだけ褒められ認められたところがあります。それが「洋ちゃんは素直だね」ということなんです。ただ、その一点だけで、なんとか生きてこられたようなものです。

 以来、上記の傾向に一切の変化はありません。裏を返せば成長をしていない。ただし「素直」だけは残っているように思います。今でも言われますから。

 ということは「影武者 徳川家康」の文章が僕ですか? え、非凡ですか! まあ、それはないとしても、嬉しいじゃありませんか。やっと少し誇れるものを見っけました。

 本を読んでいて感動するのは、自分で思っていてもうまく表現できずにもやもやしていたことが、明確に文章として読んで腑に落ちるから、ということを少年時代に読んだか聞いたことがあります。「そうだよ、そうだよ。僕もそう思っていたんだよ」と手を叩きたくなる感じ。それが読書のいいところです。

 自分にもいいところがあるんだ、と思えて、少しは自信もつく。とてもいいことです。では、また。ペレレイ、ペレレイ。

店名、人名の不可思議

 朝の散歩、日本大通りを歩いていると、「白洋舎」と書いてあるバンが停まっていたので、店名について考えてみた。

 「白洋舎」といえばクリーニングというイメージは固まっています。しみ込んでいますね。絶対にラーメン屋とは思わない。

 逆に言えば、「来々軒」なら100%ラーメン屋を想定します。暖簾をくぐってクリーニング屋だったら、のけぞります。間違いなくラーメン屋しかない。洋食屋でもないでしょう。

 名は体を表す。いかにネーミングでイメージを左右するか。もっともこの頃、ベタな「来々軒」はあまり見かけません。たぶん、コテコテで古めかしいからでしょう。

 何度も何度も聞いているうち、馴染んでしっくりくる。そういうことはあります。人名もそう。かつての名プレーヤーに阪神の掛布さんがいました。最初、「かけふ」と聞いた時は違和感全開でした。「え、それ苗字? 」というくらいに。

 ところが活躍を重ねていくにつれ、掛布という名前が新聞、テレビで連呼されますから、いつの間にか違和感は消え、逆にかっこいいとさえ思えるようになります。ついには「か、か、か、か、掛布さん」(金鳥蚊取りマットのCM)で一世を風靡するに至り、「かけふ」という語呂もすっかり定着してしまう。

 外国人名もそうです。オードリー・ヘップバーンなんて、子供は発音しにくかった。大女優になって、世界中で連呼されていうるうち、輝いて聴こえるようになるから不思議です。

 「矢後洋一」。変な名前だと思って62年生きてきましたが、ここまで考察した結果、結論は言わずもがなです。メジャーになる! それしかない。チャンチャン。

 では、また。最後は妄想でした。ペレレイ、ペレレイ。

これぞ3分クッキング!

 惠理先生は料理が手早く美味いのですが、やはりプロはさすがだと脱帽いたしました。

 野毛にある横浜にぎわい座で知人が出演する舞台公演を観に行きました。開演前、斜め向かいにある中華料理店に入りました。カウンターだけの店。大将がひとりで切り盛りしています。

 先生は知人が良く食べていた「きのこラーメン」をオーダーしました。二人で餃子一皿。僕はマーボー麺とライスです。62歳で食いすぎってか(苦笑)

 客は僕たちだけ。カウンターの中が厨房で丸見えです。野菜はすでに切ってありましたが、それでも先の注文の品二人分が6分で完了しました。一人分わずか3分。なんという早業でしょうか。しかも美味しかったのは言うまでもありません。

 僕は一品作るのに1時間弱かかります。2品であれば2時間弱。作り終えれば、お疲れ様です。プロとの違いよ。恐るべし。

 しかし、僕にも早いことが、ひとつありました。文章を書くスピードです。現役時代、どんなに締め切りがタイトでも問題はありませんでした。デスク孝行ですね。(じゃあ内容はどうかって? フフフ)

 先生は料理だけでなく、何より早いのは決断です。迷っていいことはありません。大事なのは直感ですね。ピンときたら即決です。間違いない。

 そういえば「この顔にピンときたら110番」という警察の貼り紙があります。指名手配犯の顔入りポスターです。昔、僕はよくみんなに「110番」と言われてからかわれていました。そんなに強面じゃなかったと思うんだけどなあ。写真映りが悪かった…。ことに目つき…。トホホ(古っ)

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

AではじまりCでおわる

 AではじまりCでおわる素材の会社はAGC♪ 最近やたらとテレビで流れるCMをご存じですか。つい最近までは、高橋一生が欽ちゃん歩きをしていました。今は広瀬すずです。

 変なCMだな、と思いながら観ていました。素材の会社ってなんだと疑問符付きで。

 ところが、原村の新居の窓ガラスにベタベタと「AGC」のシールが貼ってあるではないですか。現場監督の浅川さん(浅利陽介を爽やかなイケメンにした感じ)に尋ねると「そうです。ガラスを作っている会社です」とのこと。

 1100メートルの高地にあり、割れないようにと(気圧の関係?)三重の特殊強化ガラスになっているそうです。「矢後様邸特別仕様」とセキスイハイムの営業マン増田さん(元高校球児で入社2年目のやり手)も言っておりました。

 訳の分からないAGCが突然、身近になりました。セキスイハイムだって、阿部寛の「あったかハイム」のCMは観ていましたが、遠い存在でした。それが今や我が家ですから、ご縁は異なもの不思議なものです。

 もちろん人との縁もそう。歌手の日野美歌さんとご一緒に食事をする関係になるなどまるで想像していませんでしたから。遠くの存在が急に身近になる。そういうことはあります。

 こんなときに感じるのが、感謝の気持ち。人にも会社にもご縁に、すべてに「感謝、感謝」です。

 惠理先生も朝から、かつて関係のあった人と久しぶりに、原村関係でつながり「繋がる、繋がる! 」と興奮しています。

 毎日がシンクロの連続です。もう不思議ではありません。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

天気予報が気になる…

 若い頃は天気なんて気にしていなかった。僕は野球記者が長かったので、雨が降るかどうかで試合の有無もあったため、仕事上の問題として注意や意識をしていたていど。

 いつ頃からか、天気予報を見ないと落ち着かなくなった。天候に左右されるような問題はないのだが、3年半前から早朝、山下公園でラジオ体操をするようになったことが契機になっていたかもしれない。

 朝の天気予報を見ることが、日課になった。週間予報で、今後の行動への影響を頭に入れて置く。だからといって、雨だから外出しないという判断にはならないけど、心の準備ができるかもしれない。

 若い頃は何事にも鈍感だったり、無頓着な傾向はあった。季節感とか旬のものにも無関心で…。桜が咲こうが、梅が咲こうが知ったこっちゃない。「だからぁ? 」てなもんで。

 ところが「あと何回桜が見られるかな」なんて感慨を抱くようになってからは、桜も梅も愛おしくなったり、寒ブリに有難みを感じで食したり。

 天気とは違うかもしれないけれど、おしなべて敏感になっているように思う。すべてに愛情を持って接することができるようになっているというか。

 以前は雨が嫌いだった。風が吹くのもイヤだった。そう文句を言うと、惠理先生から「雨だって大切なんだから、感謝しないと。雨が降らなかったらどうするの」と言われて、 ハッとしたことを覚えている。

 一昨年だったか、金沢で白山を眺めながら、しとしと降る雨を、とても美しいと感じてからは雨も好きになった。

 花鳥風月。命あるものも、命ないものも、すべてが愛おしいと思えるようになってきた。歳をとったかな。でも、そういう気持ちになれたのなら、歳を取ることも悪くない。そう思う。

 では、また。ペレレイ、ペレレイ。

地震は猫も怖がる!?

 13日23時8分ごろ、グッスリ眠っているとグラグラ来ました。体を起こすと、チェアの上でやはり起き上がって辺りの様子を窺う愛猫マリンの姿がありました。警戒心を露に「何事が起っているんだ」という気配を漂わせていました。

 またもや福島、宮城沖で起きた震度6強の大地震。10年前の東日本大震災ほどではないと思ったものの、やはり怖かったですね。

 小学生の頃、記憶では震度5クラスの地震が2日続けてありました。親が火の元の確認などで慌てている。外に出た方がいいのか…。とにかく恐怖に包まれました。とても長く感じた。

 怖い体験って、忘れないものですね。トラウマみたいなものでしょうか。精神的に圧力を受けたわけではないけど、肉体的に生命のピンチを感じました。

 恐怖は人を無力化するのかな。「恐怖政治」がそうです。大衆を檻に閉じ込め、恐怖で覆ってしまう。外に逃げ出せない、何もできない、抵抗できない。そして権力者が思いのままに人々を操っていく。

 コロナも同じ匂いがします。キーワードは恐怖。その裏側で何が進行しているのか。いつまで続くのか。事実は分かるのか。地震、雷、火事、コロナ。時代が変わると、恐れの対象も変わります。

 せめて自分は平常心で生きて行くことを心がけて行きたいものです。

では、また。ペレレイ、ペレレイ。