何だか神聖な年でした

お久しぶりです。元新聞記者にしては、筆不精ですね。少し反省しております。ちゃんとしたことを書かなければいけないという思いが強くあり過ぎました。もうちょっと気楽に書いてみようかなと考えております。

さて今年はタイトルに書いたように、聖地巡りの年でした。

 前半はいろいろと悲しいことが続きました。それらを拭い去るかのように後半は世界各地の寺院、仏閣を訪ね歩く日々となりました。

8月にはイタリアに行きました。ジプシーによるスリが横行していると聞き、身構えていたののですが、彼女らも夏休みだったようです。背格好や行動様式を聞いていたので、街中では探しましたが、遭遇することはありませんでした。逆に拍子抜けでした。

お陰で、安心して旅を満喫することができました。ミラノではドゥオーモ(大聖堂)、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があります)、ヴェネツィアではサン・マルコ寺院、フィレンツェではサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ローマではもちろんヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂に行きました。

国内では三重の伊勢神宮、島根の出雲大社、京都の鞍馬寺などに行きました。

そして今月はバリでした。夕景の断崖に立つウルワツ寺院ではケチャックダンスを楽しみました。グヌン・カウィ・スバトゥ寺院では沐浴を経験しました。世界遺産のティルタ・エンプル寺院では水が湧き出ている聖なる泉を見学しました。

はーっ。よくもまあ、あっちこっち行ったもんです。それぞれに様式やら雰囲気は違います。なのに底に流れる幽玄で厳かな空気感に共通するものを感じました。もちろん人が作ったものですが、お伊勢さん、大社さん、ことに鞍馬寺などは大自然の中に息づいています。バリ島もそうでした。イタリアだけが都心にあって立地条件は違いますが、街全体がそもそも歴史と伝統をまとっており、中に入ればやはり荘厳です。

そこに集う人種は違えども、祈る気持ちもまた同じなんだなと感じました。バリのスバトゥでは、現地の人が一心不乱に沐浴する姿を見ましたが、こちらの心まで洗われるような気持ちになりました。

祈る気持ちは、信じる気持ちでしょう。僕は信心深くありませんし、無宗教です。それでも何かを信じて生きているわけです。大事な人であったり、信念だったり、夢だったり。それは人それぞれ。何でもいいと思います。ただ信じることが尊いのだと、感じる旅でした。

スバトゥで沐浴

バリのスバトゥで沐浴です。コンタクトレンズなので、水中眼鏡をしています。お恥ずかしい。

 

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